91歳の挑戦 波瀾万丈の自分史を子や孫に伝えたい…パソコンで制作、出版へ


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 【読谷・沖縄】子どもや孫らに波乱に富んだ家系の足跡を伝えたい―。その一心でパソコンやデジカメ講座を受講し、90代で自分史の制作に挑戦している人がいる。読谷村伊良皆の小橋川哲さん(91)で来年中の出版を目指している。

自分史出版に向けて写真加工技術のデジカメ講座に励む小橋川哲さん=4月21日、沖縄市のNPO法人沖縄ハイサイネット

 戦前、多くの県民が渡ったフィリピンのダバオ移民の3兄弟の長男として生まれた。父盛人さんは貧しさからの脱却を夢見て、弱冠16歳で単身移民した。苦労を重ね、40ヘクタールの麻栽培園を所有するまで大成功を収めた。29歳でヒメ子さんと結婚した。

 一家が暗転したのは1941年の日米開戦。戦況の悪化で沖縄へ強制送還の憂き目に遭う。帰郷後の生活は困難の連続で苦労がたたり、父は55歳で逝去、さらに小橋川さんが高校2年の時に母が37歳で亡くなった。

 「母の通夜には家を飛び出し、浜辺で気がふれたようにわめき散らした」と当時の心境を吐露した。生活は窮迫し、在学中に米軍家族のハウスボーイとして働き、闇ドルや闇たばこの売り買いで生活費を稼ぐなど、がむしゃらに弟妹の糊口をしのいだ。

 生活が落ち着き31歳で結婚。ハウスボーイで身に付けた英語がプラス材料となり石油会社に就職し、4人の子どもと3人の孫に恵まれた。

 時折ふと思い返すのが15歳まで暮らしたダバオ時代のこと。「ダバオはファミリー発祥の地。兄弟にとって第2の古里」との強い思いを抱く。自分史では父母のダバオでの立志伝を中心に戦前、戦中の混乱期、その後の家族の歴史を記す。後世に伝えるのが「子どもや孫らに対する何よりの財産ではないのか」ときっかけを語る。

 原稿をまとめるため、沖縄市のBCコザ内のNPO法人沖縄ハイサイネット(諸見里安吉理事長)で4年前からパソコンとデジカメ写真講座を受講している。「難しいよ」と苦笑いしながら、特にフィリピン関係の資料からたくさんの写真を転載するためデジカメの操作習熟に懸命だ。自分史の構成に沿って原稿執筆も急ピッチで進めているが「戦争の悲惨さと平和の尊さ、平穏な暮らしのありがたさも込めたい」と熱い思いを語った。

 ハイサイネットの諸見里理事長は「受講生仲間で出版祝いをしたい」と発刊を待ちわびている。
 (岸本健通信員)