三線作りの「隠れた名工」 定年後に始めた製作、作品は人間国宝の手にも


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 【那覇】伊江村出身で那覇市在住の宮城英典さん(79)が定年退職後に三線作りを始め、腕を磨いている。宮城さんの作った104丁目と105丁目の三線は、琉球古典音楽(安冨祖流)の人間国宝・照喜名朝一さんの手に渡り、そのうちの1丁は安冨祖流ハワイ支部長の手に渡っている。安冨祖流の大家で三線製作もしていた、故宮里春行さんの息子の辰秀さん(79)は「隠れた名工だ」と宮城さんに太鼓判を押している。

宮城英典さん(左から2人目)が製作した三線を持ち、誇らしげな同級生の宮里辰秀さん(左)ら=那覇市の宮城さん宅

 辰秀さんは、春行さんが黒木で作った棹(さお)47丁を宮城さんに託し、三線を完成させてほしいと依頼している。黒木は60年以上前に八重山で入手したという。

 宮城さんと辰秀さんは高校時代からの大親友。辰秀さんは「宮城さんに三線を作ってもらった人みんなが名工と呼んでいる」と、腕前に絶大な信頼を寄せる。

 伊江島の同級生で三線を作っている石新一幸さん(79)=那覇市=も「研究熱心でプロ中のプロだ」とお墨付きを与える。伊江島の同級生の福地治明さん(80)=浦添市=は「名工と呼ばれる友人を誇らしく思う」と話す。4人が宮城さん宅に集まった際には、三線の図面を広げて三線談義に花を咲かせている。
 (中川廣江通信員)