不条理、沖縄と通底 森友問題で提訴した赤木さん来県 基地問題の現実聞き「強く共感」


社会
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国を訴える自身の境遇と、米軍基地問題などで国を相手にする県民の思いを重ね、「同じ気持ちになれた。沖縄に来て良かった」と語る赤木雅子さん=16日、那覇市泉崎の琉球新報社

 森友学園に関する決裁文書の改ざんを強いられ、自殺した財務省近畿財務局の元職員赤木俊夫さん=当時(54)=の妻雅子さん(50)が来県し、16日までに、沖縄戦戦没者の遺骨収集の現場や、2017年に米軍機の部品が落下した宜野湾市の緑ヶ丘保育園などを訪ねた。戦後、米軍基地問題などで国を相手に闘う住民と、国へ損害賠償を求めて提訴した自身の境遇を重ね「同じ気持ちになれた。沖縄に来て良かった」と語った。

 緑ヶ丘保育園で米軍機の爆音に触れた。名護市辺野古で強行される新基地建設問題では、住民運動を続ける島袋文子さんから基地に反対する思いを聞いた。

 住民の思いを一顧だにしない国の態度は自身の訴訟と重なる。「何が起きているか知りたいけど、国は時間稼ぎや、はぐらかす態度だ。相手にしてくれないつらい思いを、沖縄の人もたくさん感じている」

 戦没者の遺骨収集ボランティアを続けるガマフヤー代表、具志堅隆松さんとも会い、「不条理の横を通り過ぎてはいけない」という言葉に感銘を受けた。具志堅さんは戦没者の遺骨が混じった土砂が新基地建設に使われることに反対している。強く共感した雅子さんは「人間としてやってはいけないこと」と国を批判した。

 数々の「不条理」が横たわる現状に気付いた。「自分も夫のことがなければ見過ごしていた」

亡くなった赤木俊夫さんのメモ帳。「2月26日15時20分 統括から連絡を受け出勤 本省からの指示」と改ざん指示の記録が残る

 作成中の「手記」

 裁判を巡っては、夫が改ざんの過程を記したファイルの存否について、国が一転して認め、開示する方針を示した。雅子さん側は文書に出てくる人物の所属や肩書きを黒塗りにせず提出することを求める意見書を大阪地裁に提出している。雅子さんは「黒塗りは絶対だめだ」と真実の公開を求めている。

 俊夫さんは夫婦の時間を大切にしてきた。書道や落語、焼き物が好きで、沖縄の焼き物も使っていた。

 改ざんを指示されたのは2017年2月26日。手帳には「統括から連絡を受け出勤。本省からの指示」というメモが残る。「そこからは、人が壊れるような感じだった」と雅子さんは当時を振り返った。

 俊夫さんは自責の念にとらわれ、「僕は犯罪者や。内閣が吹っ飛ぶことを僕はやったんだ」と雅子さんに語っていた。幻覚や幻聴が起きると、けんかもしたことのない夫婦は話がかみ合わなくなっていった。

 報道で問題が明らかになった後の2018年3月7日、俊夫さんは自宅で亡くなった。その日、警察が俊夫さんのパソコンを開くと、改ざん内容を記した作成中の「手記」が表示された。その時、詳しい原因が分かった。

 国と争う理由

 俊夫さんが亡くなった2年後、国を提訴した。夫の死後直後の報道の過熱ぶりにメディアが大嫌いだった。今はメディア側にも理解者が増え、一番の味方と感じている。夫の手記を公表し、同様事案の再発も防ぐため本名で活動を始めた。沖縄を皮切りに、地方の新聞社を行脚して裁判の現状を伝えていく。

 「夫がおかしくなった時、夫が亡くなったら自分も死のうと思っていた。亡くなった後も死んでしまいたい気持ちもあるけど、そういうわけにはいかない」

 悲劇の妻と型にはめられることは望んではいない。琉球新報の取材で、柔和な笑顔を時折のぞかせた。友人からは、取材などで涙を見せない理由を尋ねられたこともある。

 「普段元気にしているし、そうじゃない時もあるけど、私はそういうのは良くないと思う。私が裁判しているのを見て、強く生きていこうと思ってほしいし、二度とこういうことが起こってほしくない」

 雅子さんの今の答えだ。