沖縄海人伝統の水中眼鏡「ミーカガン」最後の職人 上原謙さん死去 78歳


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ミーカガンの形を整える上原謙さん=2015年4月15日、糸満市西崎町の糸満海人工房・資料館

 沖縄県糸満の海人文化を受け継ぎ、次代へ伝える活動を続けてきたNPO法人ハマスーキ理事長の上原謙(うえはら・けん)さんが18日、病気のため亡くなった。78歳。タクシー運転手の傍ら漁具を収集し、自ら漁具の製作に精を出した。特に糸満漁師が愛用してきたミーカガン(水中眼鏡)への思い入れは強く、名人の技を再現して、昔と変わらぬ製法を伝え、ミーカガンの「最後の職人」としても知られていた。

 南洋諸島のポナペ生まれで糸満で育った。船大工職人の父・新太郎さんは戦後沖縄で普及したサバニ「南洋ハギ」の考案者として知られる。

 小学生時代、学校帰りに漁具職人の故金城勇吉さんの工房を訪れ、製作風景を見て手伝うことがあった。ゴーグルに取って代わる中、金城さんは漁具として使われたミーカガン製作に携わった最後の人物といわれる。

 中学卒業後、タクシー運転手となった上原さんは午後4時には仕事を切り上げ、後の時間は漁具製作に没頭した。金城さんの死後、その道具を受け継ぎ、幼い頃に見た金城さんの技を思い出して、試行錯誤しながら製作を始めた。

 2008年に糸満の海の歴史を発信するNPO法人ハマスーキを設立。糸満海人工房・資料館で海人の歴史と知恵を伝えていた。

上原謙さんが作ったミーカガンと材料のモンパノキ(方言名ハマスーキ)

 19年7月下旬、胆管の腫瘍が発覚。転移して厳しい状況にあったが、体調のいい日はミーカガン作りに没頭していたという。

 妻のエミ子さん(75)は「病院への行き帰りはいつも『海のそばを通りなさい』と言われた。港近くを通ると、どこの船が(漁に)出ているねと話していた。海を見ると心が和んだんでしょうね」と語る。

 ハマスーキの副理事として上原さんと活動を共にしてきた喜納兼稚さん(62)は「糸満の歴史や文化を伝えてきた人だった。活動を継続して謙さんが築き上げてきたものを子どもたちに伝えていきたい」と語った。

 上原さんの告別式は20日午後2時~2時半、糸満市北波平382の1、APセンター南斎苑で営まれる。喪主はエミ子さん。