着物文化を国際通りで伝える 沖縄の染め織り発信も 十文字屋呉服店<那覇市制100年 老舗企業、次世代へ>(下)


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十文字屋呉服店の中西久治社長=19日、那覇市松尾の十文字屋呉服店

 国際通りに面した那覇市松尾の十文字屋呉服店は1912年に創業した。初代の中西惣吉氏は京呉服を広めるために京都から沖縄に移り旧上之蔵町(現在の那覇市西周辺)に店を構えた。旧市役所に近いにぎわった場所で、京呉服へのあこがれもあって盛況だったという。

 5代目で現社長の中西久治氏(53)は「当時は従業員が自転車で名護近辺まで配達したこともあったそうだ」と話す。しかし、44年の10・10空襲で店舗が焼失。那覇市警防団の副団長を務めていた2代目の久四郎氏は、戦時中に殉職した。

 失意から立ち上がり、久治氏の父の久彌氏が妻・康子さんと57年に国際通りに店を再興。67年に現在の場所に移転した。「創業100年を超えて一人前」と言われる着物の世界で、2012年に老舗の仲間入りを果たした。

 久治氏は「20~30年前は、初詣用の着物を買い求める人で、大みそかは夜中までいっぱいだった」と振り返る。国際通りという土地柄から、県外や海外からの客も多く、沖縄の染め織りを用いた着物の発信も担ってきた。

 新型コロナウイルスの拡大で、着物も影響を受けている。結婚式の延期や中止が相次ぎ、観劇などのイベントも激減したことから、着物を着る機会がなくなっているという。それでも、「きちんとした手仕事の物を扱うことで、技術を残していかなければならない。着物と切り離せない日本文化の意義も伝えていきたい」と決意を新たにした。
 (沖田有吾)

1912年創業の十文字屋呉服店。中西惣吉氏(後列右から4人目)が京都から移り住んで開いた。戦前の店舗は住宅を兼ねていて、従業員も住み込みで働いた(提供)