100年前の詩人が那覇市誕生で残した言葉 伊佐尚記(那覇・南部班)


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written by 伊佐尚記(那覇・南部班)

 20日は那覇市の市制施行100周年記念日だった。記事を書くために「那覇百年のあゆみ」という本を読むと、芸能担当だった頃によく見た名前があった。琉球古典音楽の声楽譜(歌の楽譜)を書いたことで知られる研究者・詩人の世礼国男だ。市制施行当時に書いた「市制祝賀の詩」が紹介されていた。一部を引用する。

 「那覇が市になると、君たち市民は/那覇市の上にGreatを冠せて/狂人の如ぅに欣(よろこ)んだ…」

市制施行100周年を記念する「那覇市100歳誕生日セレモニー」で風船を飛ばす城間幹子市長ら=20日、那覇市役所

 1896年に沖縄で郡区制がしかれ、那覇と首里は特別区になったが、区長は官選だった。その後、区長は民選になったが、区長が区会(議会)議長を兼ねるなど不完全な部分もあり、さまざまな支障を来したという。県外と同様の市制施行、自治権拡大を求める世論が広がり、1921年に市制が施行された。世礼の詩からは市民の喜びが伝わってくる。

 一方、詩の終盤の「いや、これはお祭騒ぎぢゃないぞ!/真紅な血潮の飛び散る戦場である」という言葉は、その後も沖縄が苦難の道を歩んだことを連想してしまうが、考え過ぎだろうか。

 来年、沖縄は日本復帰50年を迎える。普段は目の前のことに追われている私も、立ち止まって自治や自立について考えてみたい。まずは7月11日に那覇市議会議員選挙がある。自治・自立のために、市民の判断材料となる報道を心掛けていきたい。

(那覇市担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。