平和の礎に追加刻銘…「ツルさん」「照子さん」位牌でしか知らない親族の生きた証 サイパンで戦没か


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 県は17日、糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「平和の礎」に、戦没者41人の氏名を刻んだ新たな刻銘板を設置した。礎には国籍や軍人、民間人を区別せず、沖縄戦や太平洋戦争などで亡くなった全ての人々の名前が刻まれている。今回で刻銘者数は計24万1632人になった。新たに刻銘された戦没者の遺族らは「生きた証しを残せた」「(追加の話を聞いたら)遠慮するかもね」などと話し、亡き親族への思いをはせた。

作製した家系図を使って、池宮城ツルさんと比嘉照子さんとの関係を説明する比嘉俊雄さん=3日、豊見城市内の比嘉さんの自宅

 今回追加刻銘された池宮城ツルさん(享年不明)と、比嘉照子さん(享年13歳)について、豊見城市の比嘉俊雄さん(52)は幼い頃から、位牌(いはい)に記された2人の氏名を見詰め、なじみがあった。親戚の比嘉カマドさんは「2人はサイパンの南ガラパンで亡くなった」と語っていた。2人は俊雄さんにとって義理の曾祖母(そうそぼ)と、その娘に当たる。

 俊雄さんは位牌でしか知らない2人を想像し、家族のつながりを形にしたいとの思いを募らせた。2008年ごろ、家系図の作製に着手した。その作業のため平和の礎を訪れた際、ツルさんや照子さんが刻銘されていないことに気付いた。「家族が離ればなれになったような違和感を抱いた」。2020年12月、刻銘に向けて申請した。

 ツルさんと照子さんの情報はほとんどなく、戦前、親交があったカマドさんなどから聞き取りをした。証言などから、戦前はサイパン島西海岸に位置するガラパンに住んでいたことを確認した。2人の位牌には、いずれも「昭和19年7月11日死去」と書かれていた。日米間の戦闘に巻き込まれ亡くなったと推測され、県に刻銘を求めた。

 21年3月に刻銘を認める通知が県から届いた。俊雄さんは「提出した内容では追加を認められないと思っていた。2人が生きた証しを残せてうれしい」と涙ぐんだ。一方で、2人の命を奪った戦争に関し「今年は戦争の悲惨さや、平和の尊さを彼女らから学び、慰霊したい」と語った。
 (名嘉一心)