「慰霊の日」制定から60年 立法院、当初は22日 元軍高官証言で23日に変更


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄戦の戦没者を悼み、県内が祈りに包まれる「慰霊の日」が1961年に制定されて、今年で60周年となる。慰霊の日は日本軍第32軍の牛島満中将らが自決し、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日とされる。琉球政府立法院が定めた当初の慰霊の日は6月22日。だが65年に、元軍高官の証言などを基に6月23日に変更された。

 慰霊の日は61年、「住民の祝祭日に関する立法案」の全15日(成立は14日)の祝祭日の一つとして6月22日にするよう提案された。「(牛島中将らの)自決により完全に日本軍の指揮統制は失われ、沖縄戦は事実上終結した」(発議者)との位置付けだった。自決後も沖縄では多くの犠牲者が出た。中将らの自決日を慰霊の日とすることに異論はなかったのか。当時、立法院議員だった古堅実吉氏(91)は「そこを問題とする意見は、少なくともきちっとした場では出なかった」と語る。自決日を巡る論争もなかったという。

 審議の中で「琉球政府成立記念日」など他の祝祭日に関して議論は起きたが、慰霊の日について異論は出ず、すんなりと成立した。

 65年4月の立法院で「祝祭日に関する立法」が一部改正され、慰霊の日は6月23日に変更となった。その決め手となったのは、参考人として呼ばれた沖縄観光協会事務局長(当時)の山城善三氏の意見とされる。

 当時の会議録によると山城氏は「(沖縄でまとめられた出版物の多くが22日午前4時30分とするのに対して)大本営だとかあるいは東京方面において出版された本は23日の午前4時30分(と書かれている)」と複数の資料を挙げて主張。山城氏が32軍高級参謀だった八原博通氏に直接尋ねたところ、23日だと明言されたという証言がだめ押しとなった。

 古堅氏は「牛島氏の近くにいた人からの言葉でもって、確信を持ったように語られた意見だったので、そういうものかという受け止めだった。議論を積み重ねて結論を得たという話ではない」と語る。

 「慰霊の日」の存在は、休日廃止問題などを乗り越えながら、県民にとって重要な日として確立している。古堅氏は「二度と戦争を繰り返さないためにも、悲惨な戦争を後世に伝え、受け止めてもらえるような大事な日として続いてほしい」とかみしめるように語った。(大嶺雅俊)

6月22日の「慰霊の日」に摩文仁で行われた慰霊祭で戦没者の冥福を祈って手を合わせる参列者=1964年6月22日、糸満町(当時)
古堅実吉氏