遺骨の「直訴」 魂は決して諦めない<おきなわ巡考記>藤原健(本紙客員編集委員)


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 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さん(67)が訴える「南部の土と遺骨の尊厳」は、今年の「6・23」で際立った問題提起であったろう。戦没者への記憶が、辺野古新基地建設の「いま」を突いているからだ。

 断続的な雨にもかかわらず、具志堅さんのたたずまいは凜(りん)としている。23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園。県と県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式の式場近くにテントを張ってハンガーストライキを続けた具志堅さんは、さすがに時折、疲れた表情を浮かべた。しかし、それを振り払って真正面を見据える強いまなざしには、戦没者の魂(まぶい)が乗り移っているように見えた。

 3月に続いて2度目のハンストの主張は明確だ。本島南部の土に眠る戦没者の遺骨を辺野古新基地の埋め立て工事に使うな、ということである。

 「遺骨は遺族のもの。戦争基地に投げ込まないで」「遺骨が混じった土砂で新基地建設…人のやることではありません。祖父母、親兄弟を亡くした遺族を再び冒涜(ぼうとく)する行為です」。ハンスト現場の横断幕には、こう大書してある。目から飛び込む言葉は胸に残る。戦争で死に追い込んだ上になお、基地建設のために遺骨や血、肉、骨片混じりの土を海底深くに永遠に封じ込めてしまう発想。これを推進しようとする国策。なんとおぞましいことか。

 菅義偉首相は以前、国会で土砂採取についての意見を披露することなく、採取手続きの一般論を述べただけだ。その後、具志堅さんが沖縄防衛局などで説明を求めても、対応した職員は首相答弁を読み上げることに終始し、言質を与えないことにのみに神経を使っている。首相は追悼式に寄せられたビデオメッセージでは、この問題に触れもしなかった。

 代わって強調したのは、西普天間住宅地区の医療拠点整備、名護東道路建設などの成果や振興策であり、「できることは全て行う」「私が先頭に立って」と行動力にも胸を張った。しかし、トップの政治家が発するべきは、政策の列挙にとどまってはならない。「南部の土」が提起しているのは人道上の問題である。魂には誠心誠意で。それが人としての振る舞いでもあろう。

 玉城デニー知事の「平和宣言」にも不満が残る。具志堅さんは新基地建設に関する設計変更申請を不承認とするよう知事に求めているが、宣言は触れていない。新基地建設そのものの「断念」も昨年同様、言及しなかった。しまくとぅばと英語を交えた宣言は、格調の高さをしのばせたのであろう。ただ、残念ながら、命を削るように告発を重ねて「心」を感じさせた故・翁長雄志前知事とは異なる。追悼式終了後、知事はハンスト中の具志堅さんを訪れ、面談の中で「言葉足らずだった」と述べた。

 私は昨年の秋以降、具志堅さんの遺骨収集に同行したり、その想いに耳を傾け続けたりしてもいる。

 「戦争は国策です。民間人、兵士を問わず、その国策が戦没者にしたんです」「遺骨となった人たちを、また、国策で基地建設に利用するんですか」「遺骨収集は国の責任で行い、国の責任で遺族に返すべきです」「これは沖縄だけの問題ではありません」

 感情に左右されず、切々と言葉をつなぐ。遺骨は魂となって具志堅さんの心に宿り、言霊と化しているのだ。その声をかたわらで耳にすると、いつもそう感じてしまう。この日も、具志堅さんは遺骨になり代わり、ビデオ画面の首相に“直訴”したのではないか。

 76年前、沖縄の人々を翻弄(ほんろう)し、命を奪った国策は、民意を顧みない新基地建設という形で今もある。だが、具志堅さんは決して諦めない。魂に引きつけられるように、沖縄県内の議会で土砂投入反対の意見書が次々に可決された。大阪府茨木市議会でも全会一致で同様の動きがあった。人道問題という問い掛けは静かに、しかし、着実に輪を広げている。

(元毎日新聞大阪本社編集局長、那覇市在住)