<美と宝の島を愛し>自己決定権放棄した悲しい国 米国の裏方番頭的国家


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 ワクチン接種がようやく軌道に乗り始めたが、私はまだ申し込んでいない。密のない環境に居る安心(油断?)もあるが、次のような疑問があるからだ。

 相撲取りも小柄な女性も摂取量が同じで良いのか、という疑問だ。欧米で短期間に開発されたワクチンを輸入したが、白人の平均的体格と日本人のそれとは歴然とした差がある。今後、低年齢層に接種するようになっても、量は同じなのか。日常使われる薬は、年齢、体格差が考慮されて処方されている。これが一笑に付される疑問なのか、納得する答えを探している。

 また、政策では高齢者優先接種を奨励したが、クラスター(感染者集団)が発生しやすい施設、学寮など、集団で暮らす、あるいは消防、警察、自衛隊など多数の人で仕事をする人々に優先順位を付ける方が合理的だったのではないか。そんな思いもあって、高齢者だからと接種会場にいち早く乗り込む気がしないでいる。

 コロナ禍に苦しむこの2年で、相当数の倒産、失業者が出ており、地の底をはうように生きる人々の切迫感が日本社会に流れている。オリンピックに注ぎ込む金をそこへ回せ、と思いながらJOC(日本オリンピック委員会)の発表を見ていた。聖火が開会式でともろうとも、貴賓席に居並ぶ皇族や都知事、総理大臣、来賓たちが笑顔を見せても、冷ややかな思いで私はその光景を眺めるだろう。

 開会式を目前にして、JOCの経理部長が自死した報道が心に深く突き刺さっている。亡くなられた彼のためにも、また世界中のコロナの死者のためにも貴賓席のお歴々はせめて胸に喪章を着けて臨んでくれ、と言いたい。安倍晋三前首相がテレビ画面に映ったら、それだけでチャンネルはプッツンだ。「法の支配」と声高に言いながら、自身は法の支配から免れている。晴れの会場に並ぶ資格があるのか。

 敗戦後の焼け跡に降り立ったマッカーサー総司令官のように、IOC(国際オリンピック委員会)のコーツ副会長が羽田に降り立った。マッカーサーより悪目立ちしている。ぜいたくな超一流ホテルに長期滞在し、日本政府など主催者側ににらみを利かせるつもりだろう。バッハ会長ともども金も権力も名誉も手放したくない金権妖怪たちに見える。

 地道な研さんを重ねた競技者には気の毒だが、スポーツの世界が極度に商業化され、金がかかるようになった。このオリンピックの見どころはただ一つ、貧しい国からやってきた競技者が金メダルを取り、あっと驚くニュー・ヒーローが生まれることだ。その姿を待っている。

 オリンピック開催騒動の経緯を見ても、辺野古新基地埋め立てを沖縄戦の犠牲者の遺骨が眠る土砂で行おうとする非人道性も、この国の政治が民意に耳を傾けることがなく、自国の政治課題における自己決定権さえ放棄した悲しい国だということがはっきりした。

 「普通はない」ことが平然と行われる国への失望と憤りは深い。古賀茂明さんが、角川新書から新著(「官邸の暴走」)を出版した。日本の今の姿を、簡潔かつ冷静な筆致で浮き彫りにしている。「この国は先進国か」と。データも豊富なので客観性があり、便利な座右の書だ。菅義偉首相の人物像を「裏方番頭」と名付けているが、先のG7での菅首相の発言は米国の意向をなぞるばかりで独自色はなく、菅首相同様、日本そのものが米国の裏方番頭的国家だ。

 米国と西側諸国は、ユーラシア大陸の国々を仮想敵として、日本列島、とりわけ沖縄に防衛ラインを置いているため、日本に勝手な動きをさせないためG7に縛り付けているのだろう。それだけのことだ。伝統型社会に今も深く沈み込む日本人の後進性が、この国から政治的独創性と独立性を育てる気概を奪い、漫然と世襲議員に国を預けたまま、真の政治を育て得ないできた。
 

(本紙客員コラムニスト 菅原文子、辺野古基金共同代表、俳優の故菅原文太さんの妻)