津波選手へ「勝ち負けより自己記録を」 ミュンヘン三段跳び・具志堅興清さん<オリンピアンのエール>


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沖縄初のオリンピアンである具志堅興清さん

 「49年という時間は、すごい長かったような気がします。本当に良かった」。感慨深く、そう言葉をつないだのは、1972年のミュンヘン五輪男子三段跳び代表の具志堅興清さん(79)=岐阜県在住。沖縄初のオリンピアンだ。県勢として自身以来、2人目となる陸上での五輪出場を決めた男子走り幅跳びの津波響樹(23)に「プレッシャーもあると思うけど、平常心で頑張ってほしい」と、穏やかな口調で熱いエールを送る。

 今帰仁村出身。北山高で三段跳びを始め、1965年から日本選手権を2連覇。66年にはアジア大会でも頂点に立ち、30歳でミュンヘン五輪に挑んだ。3回目終了時点での順位で決勝の4回目以降に進む選手を絞る跳躍種目。具志堅さんはわずか1センチ足らず、予選落ちを喫した。

 自身の経験を基に「レベルの高い五輪では1、2回目で自己ベストを出さないと厳しい。一発で予選通過を決めないと。ファウルが続くと自分を見失いかねない」と津波に勝負強さを求める。時差や食生活の変化がない自国開催の利点に触れ「普段通りにコンディションをつくれる。まずは勝ち負けよりも自己記録を出すことが大事」と強調した。

 沖縄が日本復帰した72年に五輪へ挑み、日の丸を背負うことに重圧を感じたという。「津波君はまだ若い。平常心で臨み、決勝に残ってほしい」と自らを超える成績を期待する。

 具志堅さんは身長172センチ、津波は168センチ。いずれもトップ選手としては小柄だ。それでも「外国選手と体格から全く違う投てきなどと比べて、跳躍はオリンピックを狙うのに近い種目だと思う」と語り、工夫を重ねれば世界と戦えると信じる。「小さい日本人、沖縄の選手に一番向いている」と沖縄から後進の誕生が続くことを願い、そのためにも本番での津波の跳躍を楽しみにしている。
 (長嶺真輝)


 東京五輪の開幕まであと半月。県勢は過去最多の10人が出場を決めている。これまで五輪の舞台に立った「うちなーオリンピアン」たちが、母国開催の特別な五輪に挑む現役選手にエールを送った。