元ラジオマンが沖縄で古写真収集をしている理由 スラッシュワーカー深谷慎平さん 藤井誠二の沖縄ひと物語(29)


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 「そこの堤防の下にある波に見え隠れしている、ただのコンクリ片に見えますが、かつて米軍基地だったときの名残です。米軍将校の住宅地だったバックナービルからの下水道管の土台なんです。70年前ぐらいにつくられたものですかね。馬天自動車学校も米軍の物資置き場だったんです」

 深谷慎平さんに、南城市津波古の馬天自動車学校の裏手に呼び出された。穏やかな海を眺めながら、彼はそう説明してくれた。ここがかつて米軍基地だったことをぼくは知らなかった。

 なぜ深谷さんがこの地域の歴史に詳しいのかというと、「古写真」を地元の古老の方々から収集し、デジタルアーカイブ(デジタルで保存)の活動をしているからである。南城市からの委託を受けておこなっているのだが、彼の目には色あせた写真に残された風景と、今の光景がだぶって見えるほどくまなく地域をまわっている。

1950年撮影の「佐敷村馬天区」の写真を手に当時と同じ場所に座る深谷慎平さん=南城市佐敷津波古(ジャン松元撮影)

街の歴史を知る

 南城市だけで字(あざ)の区長に地域に声をかけてもらい、すでに24もの字をまわった。他にも、行政から依頼されるかたちで、豊見城、与那原、沖縄市、久高島、国際通りなどの街や区域、約40カ所を歩いた。米総領事館と組んだこともある。

 「行政としては、“探訪コンテンツ”として活用していきたいという狙いもあります。沖縄は首里城や水族館だけではなくて、南城市だけとってみても斎場御嶽だけではなく、もっと街の歴史を知ってほしいと」

 「ぼくらは、“アーカイブツーリズム”という言葉を作って、古写真だけではなく、8ミリフィルムとか文書史料や、民謡などの音楽を集め、そのベースにしています。区長は行政出身者が多いせいか9割方がとても協力的で、字の公民館で地元のお年寄りが写真やアルバムとかを持って集まってきてくれます。2020年からデジタルスキャンを目の前でやるとよけいに安心してくれます」

 県外等からやってくる大学の課外ゼミを手伝う。アーカイブ画像を見せながら学生らと街と歩く。歴史をさかのぼる。ここには米軍基地や収容所があったんですよと説明する。地道な活動があるからこそ、大手の旅行会社にはまねできないことを手がけられる。

東京から移住

愛用のカメラを手に古民家の前に立つ深谷慎平さん=南城市佐敷津波古(ジャン松元撮影)

 2010年に東京から移住してきた。実は、彼はぼくがパーソナリティーを担当していたTBSのラジオ番組のアシスタントディレクター―曜日は違ったが―を長年務めてきた。30歳のときにラジオをやめ、35歳のときに沖縄に来た。その5年間どうしていたの?とぼくは当然、気になる。

 「藤井さんがやっていた番組が終わったあとは、TBSでプロ野球中継をしてまして、辞めたあとは大手ゲーム制作会社のネットラジオ部門会社にいたり、大手商社の携帯電話のコンテンツを作っていたり、そうそう、出会い系サイトのサクラもやってました。売れない芸人とかミュージシャンがいましたね。女の子を演じて書き込むんです。うまかったですよ、ぼく。女子高生から老女まで演じましたから。東京の大久保にあった8階建てのうち7階がその会社でした。3年ぐらいいたかなあ。そこを辞めたあとはまたラジオ仕事をフリーでもらうようになりました」

 沖縄との接点はやはりラジオマンとして働いていた頃にさかのぼる。当時、彼はプロ野球でヤクルトを担当しており、まいとし浦添でおこなわれているキャンプについてきて、沖縄を気に入ってしまった。

 そのときは「悠々自適になったら沖縄に移住しようかな」ぐらいに思っていたが、母親が脳出血で寝たきりになってしまったことで人生観が変わり、「第二の人生って、体力があり働けるうちに始めなきゃだめだなと思ってすぐに沖縄へ来たんです。信頼していた先輩のディレクターから、“移住するなら今じゃないの?”とのアドバイスも受けたことも影響しています」と自身のターニングポイントを振り返った。

 しかし、そうは簡単に問屋がおろさない。沖縄のメディア関係会社に履歴書を送ったがことごとく不採用。そのなかで唯一「FM那覇」にあたりがあり、すぐに面接、採用と相成った。しかし、会社はうまく立ち行かず、全員が解雇となったが、深谷さんだけ残るように頼んできたのが、当時、代表を務めていた平良斗星さんである。

両方の戦後史

 古写真の収集は当初、さまざまな人がもっとアート寄りな視点でスタートさせたが、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、平良さんと深谷さんが公益的な側面を引き継いでいこうとデジタルアーカイブ事業としてシフトしていく。

 「ずばり、楽しい活動です。実はルーツは、TBSラジオ時代にあるんです。たまに特番を作っていて、あるとき『耳で聴く戦後史』という番組を鴻上尚史さんと姜尚中さん、森達也さんと作ったことがある。玉音放送と、美空ひばりをかけて、ラジオを通じて戦後史を学んでいこうというものです。日本の戦後史が好きだったんです」

 「でも沖縄で暮らし出して、内地の戦後史や、沖縄の戦後史と両方あることに気づいて、知らないといけないと思った。古写真のアーカイブはその入り口にしかすぎませんが、残っている地域の庶民の方々の記録を積み重ねていくと、公の証言と食い違う証言なんかが出てきたりします」

 あくまで深谷さんの手応えだが、沖縄に各地で個人が保管・保存している古写真のうち1%にも満たない量しか集まっていない。それでも、古写真の上映会をやるとお年寄りが何十人も集まってきて、あれやこれや思い出話が止まらなくなる。お年寄りが喜ぶ顔を見て、ときに新たな事実が「発掘」されると、自然と深谷さんの表情もほころぶ。

 「いまのところ移住者のぼくに、大切な写真を託すことでトラブルもありません。いま日本では大半のアーカイブ事業が収集、保存で終わっていて、公開、活用までいっていません。クリエイティブ・コモンズ(著作権に関する意思表示の国際的なルール)に基づいた活用をやっているのは沖縄が一番進んでます」

 第二の人生を沖縄で始められて良かったあ、と深谷さんは満面の笑みを見せる。古写真収集事業の他にも、引きこもりの若者をケアするNPOのプロジェクトを手伝ったり、餅は餅屋でFMラジオの技術スタッフを担ったりすることもある。独学で学んだカメラを駆使し、雑誌や広告でいろいろなものを撮影もする。まさに、複数の仕事をたこ足的に掛け持ちする「スラッシュワーカー」である。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

ふかや・しんぺい

 1975年愛知県生まれ。その後、埼玉県狭山市に転居。法政大大学卒業後、TBSラジオの番組制作会社に就職。トーク番組やプロ野球中継を手がける。沖縄に移住してから独学でカメラ術を学び、カメラマンの仕事もこなす。さまざまなNPO活動にも関わっている。

 

 

 

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。