宮城幸子さんと志田房子さんが琉球舞踊の分野から初めて、そして琉球芸能分野から初の女性の人間国宝となることが決まった。認定は琉球舞踊の継承に弾みをつけ、女性舞踊家にとってさらなる高みを目指す原動力となる。
琉球王府時代、琉球芸能の担い手は士族だった。明治、大正に至るまで、芸事は主に男性が担っており、女性が行うのは、世間的にあまり好意的に見られてこなかった。しかしながら、明治期以降、男性舞踊家たちによる舞踊道場開設などがあり、女性たちも琉球芸能を好んで個人的に習うようになっていった。
女性の舞踊家が表舞台で活躍するようになったのは、1936年に東京で開催された日本民俗協会主催の「琉球古典芸能大会」以後だ。同会で、新垣芳子ら女性舞踊家が本土の知識人に高く評価されたことで、舞踊界に女性の活躍を後押しする土壌が形成された。
琉球芸能は琉球処分(併合)、沖縄戦と大きな危機を乗り越えてきた。戦後、県民による文化再考の機運向上と共に、誇るべきものとして見直され、宮城さん、志田さんと時期を同じくし、多くの優れた女性舞踊家が誕生した。2009年に琉球舞踊が重要無形文化財に指定されてから、人間国宝の誕生に時間を要した背景に、候補者の多さによる選考の難しさがあったことは、想像に難くない。
二人は1954年に開催され、コンクール制度のさきがけとなった沖縄タイムス社の第1回新人芸能祭入賞者でもある。県内のコンクール制度は66年に始まった琉球新報社の「琉球古典芸能コンクール」と共に、実演家が技を高める場として機能し、琉球古典芸能の発展の一端を担ってきた。
今回の認定は舞踊家が伝統的な技法の追究を通し、琉球舞踊の魅力を次代につなげる契機となることが期待される。
(藤村謙吾)