変わるコザ、変わらぬ基地 島袋良太(中部報道グループ)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

written by 島袋良太(中部報道グループ)

 10年近くぶりに古巣の中部報道に戻った。駐車場がない場所にも駆け付けられるように自腹で購入し、支社に置いていた自転車がまだあるのに苦笑い。リュックサック、ジーパン、Tシャツ姿で自転車に乗って取材に行くと「浪人生みたいだね」と言われたことが懐かしくなった。

 着任のあいさつ回りで、以前お世話になった企業経営者からの一言が印象に残った。「飲みに行こう」がコザの定番の誘い文句だったが、「今度FC琉球の試合に行こう」と言われた。

 1996年にスポーツコンベンションシティを宣言した沖縄市。琉球ゴールデンキングスやFC琉球のホームタウンとなり、沖縄アリーナも完成した。街も少しずつ変わっている。

 コロナ禍で気軽な「ゆんたく」も「あっちゃー」もままならないのが悩み。音楽のまち、交流のまち、かつて体感したコザの魅力やポテンシャルが今は沈んでいるのも事実だ。コロナの早い収束を願いながら、まちづくりを全力で応援したい。

 変わらぬものは米軍嘉手納飛行場や米軍普天間飛行場を抱える中部の基地負担。基地問題は生活の問題。基地の周りに住む人々の視点を大事に記事を書いていきたい。

(沖縄市担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。