【寄稿】琉球舞踊で人間国宝誕生 実演家の誇り示す(田中英機・くらしき作陽大客員教授)


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(左)「稲まづん」を舞う宮城幸子=2016年9月、浦添市の国立劇場おきなわ (右)創作「十六夜」を披露する志田房子=2019年2月、浦添市の国立劇場おきなわ

 宮城幸子、志田房子ご両師に心からお祝いを申し上げます。また、琉球舞踊界に初めて人間国宝が誕生したことを皆さまとともに喜びたいと思います。

 平成21年(2009年)、琉球舞踊が国の重要無形文化財に指定され、総合認定保持者の中から1日も早く人間国宝をと期待し、待ち望んだことです。それは名誉や栄典や損得の問題ではなく、日本の文化伝統の中に琉球舞踊の「芸術上の価値と芸能史上の地位」を確(しっか)と位置づけ確認するものであり、琉球舞踊の実演家の誇りを示すことでもありました。いま現在、広く日本の舞踊界で人間国宝と呼ばれる人は歌舞伎舞踊の西川扇蔵、京舞の井上八千代のお二人。ここに宮城、志田お二人が並ぶわけです。日本国中がまず驚き、琉球舞踊の存在は再確認され、世の注目と関心、話題を集めるでしょう。

 戦後76年、この間の琉球舞踊といえば、まず真境名佳子の人と芸が想起されます。焼物(やちむん)(琉球陶器)の金城次郎に次ぐ人間国宝は、琉球舞踊の真境名佳子と多くの人が内心そう思っていましたが、その機熟さず、師は逝去。このたびのお二人はともに佳子師の薫陶に浴して、師と仰いで今日に至ります。(幸子は佳子の「魂替(たまが)えの人」だと、筆者は思っています)。

 重要無形文化財「琉球舞踊立方」保持者。お二人の受ける称号です。舌をかみそうな呼称なので、通称人間国宝ですが、その人が国宝というわけではありません。国宝のごとく大切なのは「琉球舞踊立方」の芸そのものです。

 宮城師の「稲まづん節」「作田」などは「太夫(たゆう)の芸」の風格と味わいがあり、流儀などを超えた「琉球舞踊の太夫芸」ともいえる大きさと存在感があります。志田師は玉城盛重をはじめ、時代の名手たちから多くを学び、いまや個性的な「房子の芸」を円熟させています。創作「水鏡」(1983年)など豊かな古典力に裏打ちされた優品も輝いています。ご両師には、このたびを節目に琉球舞踊の質的水準向上にもうひと働きをお願いしたいと祈り願うのは、筆者一人ではありません。

 (くらしき作陽大学客員教授)