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祖先たちの思い後世へ 三線教室主宰 伊良皆高吉さん<県人ネットワーク>


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「沖縄音楽三線教室」を主宰する伊良皆高吉さん

 東京都千代田区神田に八重山古典民謡を学ぶ「沖縄音楽三線教室」を開いて17年目になる。入門者は千人を超え、八重山芸能の愛好者を育て、指導者や県内のコンクールでの入賞者を輩出してきた。三線の音色に込められた祖先たちの思いを伝えている。

 台湾へ疎開するために第五千早丸に乗船していた父親は米軍の攻撃を受け遭難し、魚釣島で亡くなった。当時8歳だったため、父親の姿はおぼろげだが、三線が好きだった父の歌声は今もはっきり耳に残っている。「いつしか父のように三線を弾けるようになりたい」。その思いを持ち続け少年時代を過ごした。
 八重山高校卒業後、4年ほど八重山地域の小中学校で教員をした。その後、法政大学に進学。本土で一度は就職するが、沖縄に戻り1968年に製麺工場を始めた。80年に県議会議員に当選、2000年から4年間、議長を務めた。

 最初は独学で三線の勉強を始めたが、1959年に八重山民謡の先師・大浜賢扶と玉代勢長傳に師事した。77年に八重山古典音楽安室流保存会師範免許を取得、83年には県指定無形文化財八重山古典民謡技能保持者となった。ニューヨークのカーネギーホールや国立劇場おきなわのこけら落とし公演にも出演した。2018年には安室流第六世師範を40年ぶりに襲名した。

 三線教室を2005年に開いた。関東を中心に20カ所以上に教室を持つ。新型コロナウイルスの感染拡大で現在はリモートで教えている。約9割が県外出身者だという入門者には「三線の演奏には指揮者がいない。だから、心を合わせることが大事。そうすればおのずとリズムが合ってくる」と説く。

 燃えさかる首里城をテレビで見て、涙が止まらなかったという。「首里の城」を作詞・作曲し、歌に首里城への深い思いを込める。「沖縄では武器に代えて三線を床の間に飾って国を治めてきた薫り高い文化がある。首里城は本土の城と違って戦わない城であり、その文化を表している。そのことを三線・歌を通して後世に伝えたい」


 いらみな・こうきち 1937年、石垣市生まれ。県指定無形文化財八重山古典民謡技能保持者。1980年に県議会議員初当選、2000~04年に県議会議長。2005年に東京都千代田区神田に「沖縄音楽三線教室」を開設。16年に石垣市文化特別表彰を受賞、18年に安室流第六世師範を襲名。