重量挙げ宮本昌典の原点は「ほうきの柄」 理想のフォームで頭角現す 東京五輪


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男子73キロ級 スナッチで147キロに成功した宮本昌典

 父・裕二さんは宮崎県出身。1987年の海邦国体に向け、県内レスリングを強化するために沖縄に招かれた名伯楽だ。宮本も幼少期からレスリングをしていたが、小柄で筋肉質なタイプではなかった。松川小6年の時、父にシドニー五輪代表の平良真理さん(現嘉手納高監督)と引き合わされ、重量挙げの道へ。この出合いが運命を変える。

 原点はほうきの柄。初めは重さを挙げることではなく、理想のフォームを徹底的にたたき込まれた。「元々レスリングをしていたこともあってか体幹が良く柔軟性もあった」(平良さん)と、既にリフターとしての資質を備えていた宮本。体の最短距離でバーベルを通し、最小限の力で差し上げるフォームを武器に松城中の時に日本中学新を出して全国で頭角を現し、沖縄工高でも日本高校記録を塗り替えた。

 東京国際大では64年東京五輪、68年メキシコ五輪で金メダルを獲得した三宅義信監督に師事。日本重量挙げ界のレジェンドから授けられた言葉は「焦らず、侮らず」。技術と力に精神力が上乗せされ、五輪のメダル獲得も期待される若手のホープへとのし上がった。

 普段はおっとりとした性格だが、強い向上心と負けず嫌いな気持ちを内に秘める。2017年の世界ジュニア選手権では銀を獲得したが、1位に1キロ及ばず表彰台で悔し涙を流した。目を真っ赤に腫らして「もっと強い選手になりたい」と語っていた宮本。五輪入賞という結果にもまだまだ満足することは無さそうだ。