1万人がつないだ聖火 病乗り越え参加したランナー「選手を見守るような気持ち」


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 【浦添】東洋の魔女と呼ばれた全日本女子バレーボールチームが金メダルに輝いた1964年の東京オリンピック。当時、川畑和弘さん(73)=浦添市=は高校2年生で、県立那覇商業高校バレー部に所属していた。長年、携わってきたスポーツへの、恩返しの気持ちを込め、聖火ランナーの一人として5月に糸満市の平和祈念公園から聖火をつないだ。

聖火ランナーの一人として自身が握りしめたトーチと、自身の歩みをまとめた1冊を持つ川畑和弘さん=20日、浦添市の川畑和弘さん宅

 全国でおよそ1万人がつないだ聖火が23日、東京・国立競技場の聖火台に点火された。川畑さんは「聖火台から選手を見守るような気持ちだ」と目を細めた。

 川畑さんがバレーと出会ったのは小学5年生の頃。浦添市立仲西中学校でバレーに打ち込んでいた兄の影響を受けた。同校に入学した川畑さんはバレー部に入部し、那覇商業高校でもバレー部に所属して競技を続けた。

 東京オリンピックから7年後の1971年、沖縄銀行で男子バレー部を結成した。82年に5代目の監督に就任し、全国大会で10回の優勝を果たした。今年で結成50周年を迎える。定年退職後は琉球調理師専修学校の校長を努めた。2018年に文部科学大臣生涯スポーツ功労者表彰を、昨年は厚生労働大臣表彰も受けた。

 約9年前に脳梗塞を患い、その後に両膝を手術。一時は歩くことも難しくなりそうだったが、奮起した。聖火ランナーの一人としてトーチを握りしめ、走る喜びを味わった。「無我夢中だった」と振り返る。人との出会いを大切に、人を大事にすることをモットーとする川畑さん。那覇商業高校同窓会会長も務める。

 川畑さんは「聖火がともされ、一役を担えた。オリンピックに参加している気持ちだ。成功させてほしい」と語り、テレビの画面越しに選手を応援する。母校の仲西中男子バレー部の外部コーチとして川畑さんのバレー人生は継続中だ。

 (中川廣江通信員)