【特別評論】多様性誇る文化の到達点 小那覇安剛(編集局次長・編集委員)


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小那覇安剛(編集局次長・編集委員)

 沖縄空手に新たな歴史が刻まれた。喜友名諒選手の金メダル獲得を心からたたえるとともに、沖縄の伝統文化の一つである空手の価値を再確認したい。

 幼少時から空手に親しみ、稽古に励んできた喜友名選手は中学3年の時、世界大会7連覇を果たした佐久本嗣男氏に師事した。

 那覇市内の道場で、師弟の稽古を間近に見たことがある。しまくとぅばを交えながら、空手の形の持つ意味を丹念に説く佐久本氏の下で、喜友名選手は飽くことなく稽古に打ち込んでいた。師弟は伝統を踏まえながら技を深化させ、世界の目を納得させる沖縄空手の現在形を作り上げた。

 この小さな島で生まれ、世界に広がりを見せる空手がオリンピックの正式種目となり、沖縄出身の選手が頂に立った意味を改めて考えたい。

 交易を通じて、沖縄はさまざまな文化を吸収しながら、独自性のある多様な文化を育んできた。琉球古典音楽や琉舞、組踊などと並び、空手もその一つに数えることができる。

 いくつもの流派を生みながら多様な展開を見せている沖縄空手の源流は首里手(スイディー)、那覇手(ナーファディー)、泊手(トゥマイティー)であり、沖縄のその他の文化、芸能と同様、時代の荒波にもまれてきた。

 武士(サムレー)のたしなみであった伝統空手は「琉球処分」(琉球併合)以降、県立中学校や沖縄師範学校、各地の小学校で導入された。琉球王国の文化が衰微する中で、沖縄の空手家は伝統の継承を図ったのである。船越義珍ら日本本土へ渡った空手家は大学などで指導し、国内における空手普及の土台を築いた。

 沖縄戦で道場が失われ、空手家も命を落とした。生き残った空手家は技の継承に立ち上がり、粗末な道場で空手文化の再興に尽くし、海外でも弟子を育てた。沖縄近現代史とも重なる困難な道のりを空手は歩んできた。

 その延長上に喜友名選手の金メダルがある。それは多様性を誇る沖縄文化の一つの到達点でもある。沖縄のアイデンティティーを再認識させたことに、私たちは高い価値を認め、分かち合いたい。

 今後も活躍が期待される喜友名選手にとって、金メダル獲得は一つの通過点であるとともに沖縄空手の通過点でもある。

 空手発祥の地として、技の伝承者をどう育て、伝統を守っていくか。伝統空手の定義とは何か。沖縄の空手界はこれらの課題と向き合っている。沖縄空手の国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産登録もその一つだ。

 沖縄空手の新たなページがめくられた。そこに何を描いていくか。沖縄の英知が待たれている。