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ソ連でのクーデター 国家統合の危機とは<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 ソ連は強大な軍隊と秘密警察による監視網で盤石の体制を誇っていた。国家がイデオロギー教育を徹底的に行っており、社会主義体制が資本主義体制に転換するとは誰も思っていなかった。しかし、1991年12月にソ連は崩壊した。筆者は、87年8月から95年3月までモスクワの日本大使館に勤務していた。91年1月には「この国は近未来に崩壊する」と確信した。

 それはゴルバチョフ・ソ連大統領がリトアニアに軍隊を投入し、独立運動を力で押さえ付けようとしたからだ。流血の事態になったが、リトアニア人は非武装の抵抗運動を続けた。リトアニア人は、文字通り命を懸けて民族の名誉と尊厳を守ろうとした。

 日本では、多少の混乱があってもソ連が崩壊することはないと誰もが思っていた。筆者はソ連は確実に崩壊するということを伝えたくてその年の91年6月に匿名で『ソ連の「ほんとうのホント」:民族問題』(アイペックプレス)を上梓した。

 同年8月19日早朝に「健康上の理由でゴルバチョフ大統領が職務を停止し、ヤナーエフ副大統領が大統領代行に就任した。非常事態国家委員会が組織された」という第一報を聞いたときも意外感はなかった。実は、リトアニアのソ連派共産党(当時、リトアニア共産党は主流派の独立派と少数派のソ連派に分裂していた)幹部から4月時点で「ソ連共産党政治局にゴルバチョフを排除しようとするクーデターの動きがある。ヤナーエフ副大統領の動きを注視した方がいい」という情報を得ていたからだ。

 クーデターを行った守旧派(非常事態国家委員会と名乗った)は、3日間しか権力を維持することができなかった。クーデターの3日間、私はクレムリンの隣の「スターラヤ・プローシャチ(旧い広場)」にあるソ連共産党中央委員会の建物の偵察を何度も行った。朝8時半に何事もなかったかのごとく地下鉄から職員が出てきて建物に吸い込まれる。深夜2時になっても建物の窓には灯りがついている。共産党中央委員会は国家を統治する中枢で超エリート官僚の集団だ。ソ連でもエリートは国のために身を粉にして働いていた。

 クーデターの3日間、非常事態国家委員会に抵抗するエリツィン・ロシア共和国大統領らは、ロシア政府・議会の建物「ベールィ・ドーム(白い家)」に立てこもった。非常事態国家委員会の命令で出動した戦車と装甲車が「ベールィ・ドーム」を取り囲み、一触即発の緊張が続いた。共産党中央委員会は、何事もなかったように仕事をしている。優秀な官僚群がいてもソ連国家の崩壊は防げなかった。

 筆者は20年前の記憶が現在の日本と重なる。辺野古新基地建設に対する沖縄の異議申し立てを中央政府は無視している。力で沖縄の民意を押さえ付けるような政策を取り続けると、それが日本の国家統合の危機を招くことを霞が関(中央省府)のエリート官僚たちは皮膚感覚で分からないのだと思う。コロナ禍で東京の政治エリート(国会議員と官僚)には、沖縄と日本の間に依然として深刻な問題が存在していることが見えなくなっている。このままでは国家統合の危機が必ず訪れる。 

(作家・元外務省主任分析官)