元ひめゆり学徒の宮良ルリさん死去 94歳 資料館元館長


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戦争体験を語る宮良ルリさん=2010年6月

 元ひめゆり学徒で、糸満市にあるひめゆり平和祈念資料館館長も務めた宮良ルリ(みやら・るり)さんが、12日午前4時6分、老衰のため那覇市内の病院で死去した。94歳。石垣市出身。自宅は那覇市松川。告別式は15日、家族で執り行った。喪主は次男光昭(みつあき)さん。

 1945年の沖縄戦当時、沖縄師範学校女子部本科1年だった宮良さんは「ひめゆり学徒隊」として沖縄陸軍病院に動員され、負傷兵の看護に当たった。解散命令後の6月19日未明、伊原第三外科壕(現在のひめゆりの塔の下)で米軍のガス弾攻撃を受け、多くの学友や教師を失った。

 戦後は教職に就き、退職後の1984年から資料館建設に携わった。89年の開館以降は証言員として県内外で戦争体験を伝え続けた。2010年4月から11年3月まで同館館長。10年8月には台湾の国立台東生活美学館から招待を受け県内平和資料館・美術館の館長らと共に訪台、体験を伝えた。その後も証言員として活動し、13年に引退した。

 同館の普天間朝佳館長(61)は「元気な頃の宮良さんの顔を思い出し、寂しい気持ちだ」と惜しんだ。伊原第三外科壕では、教師4人と学徒38人が犠牲となり、戦後も自分だけ生き残ってしまったという思いを抱えた。「証言員として活動する中で『体験を後世に伝えるために生かされたと思うようになった』と話していた。その思いが心の支えになったのだと思う」と話し、長年の活動をたたえた。