「戦のむごさ伝えた」 宮良ルリさん死去 関係者ら悼む声


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 元ひめゆり学徒で、ひめゆり平和祈念資料館の館長も務めた宮良ルリさんが亡くなったことを受け、同世代で一緒に沖縄戦の継承に取り組んできた元学徒らや資料館の関係者からは「寂しい」と惜しむ声が上がった。

 宮良さんの前に館長を務めた本村つるさん(96)と、宮良さんの後に館長を務めた島袋淑子さん(93)は資料館を通じてコメントを出した。本村さんは、資料館設立を巡り同窓会で賛否が割れたことを振り返り「宮良さんは生き残った人の気持ちを代表し、『ぜひ建ててください』と言ってくれた。建てる時にも、とても頑張っていた」と振り返った。島袋さんは「頼りがいのある先輩。とても大事な人を亡くしたという思い。寂しい」と語った。

 ひめゆり同窓会東京支部の崎浜和子会長(92)は「東京支部も宮良さんが伝えたかったことや平和について考えていきたい」と決意を示した。元学徒らへの聞き取りを重ねた、ひめゆり平和祈念財団代表理事の仲程昌徳さん(78)は「宮良さんは、米軍に投降を呼び掛けられても投降を許されず、大勢が亡くなったむごさ、教育の恐ろしさを繰り返し伝えてくれた」と評価した。

 元白梅学徒の中山きくさん(92)は元ひめゆり学徒らが89年には資料館を建設したことに触れ「いち早く資料館を造り語ったこと、説明員が伝えていく体制を整えたのは大きなことだ。白梅にとっては大先輩で貴重な方だった」としのんだ。

 ひめゆり学徒らが負傷兵の看護に当たった沖縄陸軍病院南風原壕近くにある南風原文化センターでは、常に宮良さんの証言を伝えている(現在はコロナ禍で休館中)。同センターの平良次子館長(59)は「(宮良さんの)思いを忘れず、伝える立場として工夫をしながら取り組みたい」と述べた。