グラウンド立った瞬間はもう…甲子園で優勝の女子選手が語る白球への情熱


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遊撃手として、決勝の舞台に立った宮城夢叶=25日、名護ボールパーク

 「甲子園は迫力がすごかった。何から何まで、全部楽しかった」。高校野球の“聖地”、兵庫県の甲子園球場で23日、初めて全国高校女子硬式野球選手権大会の決勝が行われ、甲子園に新たな歴史が刻まれた。その瞬間をグラウンドで迎えた県勢がいる。5年ぶり2度目の栄冠を手にした神戸弘陵(兵庫)で、遊撃手として出場した宮城夢叶(ゆめの、17歳)=上本部中出、沖縄ガールズ=だ。このほど沖縄に凱旋(がいせん)し、優勝の瞬間を振り返った。

 グラウンドに立ったのは4点リードで迎えた最終七回表の守備。遊撃手で登場し、「やっと呼ばれた。本当は打席も立ちたかったけど、(グラウンドに)立った瞬間はもう…。これまでやってきた球場と景色も雰囲気も全然違って見えた」。捕殺はなかったが、優勝の瞬間をグラウンドで迎え「最高だった」

 年の離れた11歳と8歳上の兄の影響で、小学3年から野球を始めた。ポジションは兄たちと同じ投手と遊撃手。高校進学の際は「高校野球といえば硬式」と言う考えが自然に浮かんだ。知人のつてをたどり、強豪の神戸弘陵の体験練習に参加。参加すると「ここだ、と直感した」。入学を即決し、母・民子さん(52)との兵庫での2人暮らしが始まった。

 慣れない暮らしや厳しい練習に、くじけそうになったことも何度もあった。そのたびに「めっちゃ落ち込むけど、家族やチームメートの支えがあったから頑張れた」と振り返る。

 娘の奮闘をそばで見守ってきた民子さんは「精神的にも体力的にも本当によく頑張った」とたたえる。食生活や体調管理など、私生活を全力で支えてきた。甲子園で夢叶さんがグラウンドに立った瞬間、「これまでの夢叶の努力が報われた。優勝した瞬間はもう、頭が真っ白だった」と目を細めた。

 高校野球では有終の美を飾った。今後の進路を問うと、「野球は高校で引退。やりきった」と宮城。野球にささげた情熱は完全燃焼した様子だ。今は「ゆっくり進路を考えたい」と地元で羽を休め、新たな道を探しに歩みを進める。

 (上江洲真梨子)