沖縄観光9・11の教訓は 当時の対応を担当したOCVB下地会長に聞く


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「外部環境の変化に強い観光地を目指すべきだ」と話す沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長=8日、那覇市小禄の沖縄産業支援センター

 沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)の下地芳郎会長は米中枢同時テロが起きた2001年、県職員として沖縄観光被害の対応などに当たった当事者だった。「9・11」にまつわる教訓などを聞いた。

Q.当時の状況は。

 「県の観光振興課に在籍しており、米国での事件の発生直後からテロ対策特別誘客班の班長として対応に当たった。OCVBとともにチームを作って情報収集に当たった。緊急事態に対応する組織体制が構築されておらず、初期の情報収集に遅れがあった。県の予算に余裕がなかったことから、テロ直後の情報発信なども十分ではなかった」

Q.テロ後の沖縄への影響はどのようなものだったか。

 「飛行機を使ったテロだったことで、最初は飛行機に乗ることへの不安が広がった。海外旅行がキャンセルされ、国内旅行でも沖縄だけが影響を受けた。続いて世界中の米軍基地がテロの対象になるのではないかと報道があり、沖縄は危ないというイメージができてしまった。修学旅行のキャンセルが広がり、国際通りから人がいなくなった」

Q.どう対応したのか。

 「不安情報ほど記憶に残る。沖縄からすれば、米軍基地があるのは事実だが、県民は日常生活を送っている。観光から見れば『風評』ととらえて、政府への要請やキャンペーンを展開した。当時の文部科学相が首里城を訪れて高校生と交流するなど、政府も対策を取った。結果として翌02年の1月ごろにはキャンセルが落ち着き始めた」

Q.今のコロナ禍と比較するとどうか。

 「01年当時は、県民が日常生活を送っているので沖縄は大丈夫だと言えた。しかし、コロナ禍では需要喚起が非常に難しい。今はワクチン接種やPCR検査を受けてから観光するという、新たな沖縄観光のスタイルを築いて発信していく必要がある」

Q.9・11の教訓は。

 「沖縄の地理的な特性から、観光は産業の重要な柱となる。一方で外部環境の影響を非常に強く受ける産業でもある。平時から危機への備えを、行政も企業も持っておく必要がある。外部環境の変化に強い観光地を目指していくことが重要だ。9・11で、官民の連携をしっかり取ることの重要性を再認識した」

 (聞き手 沖田有吾)