<琉球料理は沖縄の宝 安次富順子>7 琉球王国のおもてなし文化 多彩な食材で量と質誇る


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 琉球王国は、外交の手段として「客人を料理でもてなす」ことを大切にしてきました。冊封使(サッポウシ)に対する饗応料理(キョウオウリョウリ)(御冠船(ウカンシン)料理)、日本料理系の「五段の(クダンヌ)取り持ち(ウトゥイムチ)」、玉御殿(ウドゥン)における清明祭の供物、お盆の祖先の霊のおもてなしなど、素晴らしい食文化があります。長い歴史を通して、もてなしの心、料理を大切にしてきたことがうかがえます。

御冠船料理全図

<日中それぞれの形式>

豪華な御冠船料理

 冊封使が乗ってきた船には王冠が載せられていたことから冊封使の饗応料理は御冠船料理と呼ばれています。その饗応料理は、五つの段で構成されており、各段につき四つの料理、點心(てんしん)、湯が出され、料理の数から二十碗料理とも呼ばれています。料理は、中国料理で、用いられた食材は、燕(つばめ)の巣、フカヒレ、ナマコ、鹿肉、鹿のアキレス腱(けん)、ジュゴン、豚足、豚の中身など高級食材が使われています。その宴席の豪華さは、満漢全席(まんかんぜんせき)の一日に値するほどの量と質を誇っています。

 私は、2000年の沖縄サミットの折に、テレビ朝日の依頼を受け、初めて御冠船料理を作りました。「琉球冠船記録 勅使以下江獻立并卓の圖」(1866年)に基づきましたが、その資料には材料名とごく一部の調理法が分かる程度で、作り方、調味料の記載がありません。例えば初段については、四つの料理は(1)毛蠏(けがに)・燕窩(つばめのす)(2)フカヒレ(3)清炖ウツラ(4)刺参(なまこ)とそれに伴う副材料、點心は(1)黄米糕(2)ケサチイナ、湯は燕窩が記載されています。中国皇帝の料理資料や既発表の御冠船料理の資料、その他を調べ、食材は記述通りに、調理法は想像して、中国料理の田淵光さんの協力を得て作りました。

 料理作りには、結構な日数と人手がかかりました。料理作りもさることながら、食材や器の調達にも苦労をしました。作り上げた料理を並べて写真に収めることができたこと、そしてそれによって御冠船料理の豪華さを紹介できたことは良かったと思っています。ただ、研究が不十分な点も多々あり、今後の研究のたたき台になればよいと思っています。

五段のお取り持ち

 

五段のお取り持ち
伊是名公事清明祭

 王朝の流れをくむ日本料理系のもてなし料理です。御冠船料理が五段構成なので、混同されがちですが、全く違うものです。日本料理の本膳料理に匹敵する献立料理で、料理数は二十数種になります。昭和の初めまで、首里、那覇の上流階級家庭で還暦や古希、結婚式などに用いられました。膳の形式は日本料理ですが、盛り込む料理は、琉球料理で、中身のお汁、イナムドゥチ、花いか、ンブシ豚(今のラフテー)、ドゥルワカシー、クーブイリチー、サーターアンダーギーと白アンダーギーのセットなどです。用いる膳の大きさ、器などにも決まりがあり、また迎える客や主人側の衣装も正装というように決まりがありました。食材や道具の調達は、催される日の半年位前から準備をしていたと聞いています。この規模の宴は、現在、家庭ではなくホテルなどで行われており、昔の人たちのもてなしに対する姿勢に感銘しています。

清明祭

 

 1768年に中国から伝えられ、王家の祖先供養祭として初めて首里の玉御殿で行われました。王朝消滅後は、そのままの形で、伊是名に伝えられ、現在伊是名公事清明祭として行われています。その内容は、銘苅家文書『伊平屋島玉御殿公事帳』、『伊平屋島玉御殿清明御祭之時御三味物拝調御盛合之仕様并御菓子腰掛』に詳しく記されています。墓前には豚の頭、鶏、あひる、尾頭付きの魚などを御三味(ウサンミ)として供え、さらに餅、菓子、果物なども供えられます。

 お盆や法事、清明祭に用いられる重箱料理は、中国起源の神仏への供物である三牲(豚、鶏、魚)が基になって簡素化されたもので、御三味と呼ばれています。それらの行事には、餅、菓子なども供え、祖先の霊をもてなします

 もてなしには、主に料理が伴います。「ティーアンダ」という言葉があり、直訳すると「手の脂」ということになります。沖縄では「脂」は昔から命の糧であり、また、よい味を出すのになくてはならないものでした。心を込めて作る料理は、手から脂が出るかの如く、味わいのある料理に仕上がるというものです。もてなしの心は長い年月沖縄に脈々とつながっています。

 (琉球料理保存協会理事長)
 


 安次富順子(あしとみ・じゅんこ)

 那覇高校、女子栄養大学家政学部卒。1966年~2016年まで新島料理学院、沖縄調理師専門学校(校長)勤務。沖縄伝統ブクブクー茶保存会会長。主な著書に「ブクブクー茶」「琉球王朝の料理と食文化」「琉球菓子」など。


~~ウチャワキ~~

おもてなしの在り方

 かつての沖縄は、豪華なもてなしの文化を持っていました。食べきれないほどの料理でのもてなしは、食べ物が潤沢でない時代のもてなしの表現だったと思います。現在のような飽食の時代には、逆に、食べ残しのないもてなしの文化の在り方を考えたいものです。