浦添に闘牛場、4軒の映画館!まちの歴史に強まる愛着心 吉田健一(那覇・南部班)


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written by 吉田健一(那覇・南部班)

 来年の日本復帰50年の節目に向け、本紙では5月から月1回、各市町村の歩みを写真やデータで紹介する企画「わがまちいま昔」を始めている。名護市を皮切りにうるま市、糸満市、宜野湾市と続き、今月は私が担当する浦添市を書かせてもらった。19日付の紙面は琉球王国発祥の地浦添の歴史や文化、自然についてまとめた。紙幅の都合もあり、浦添の魅力を網羅することはできなかったが、取材を通して多くのことを学んだ。

 例えば、戦前から戦後しばらく城間に闘牛場があったこと。牧港補給地区の門前町として栄えた屋富祖には映画館が4軒あったこと。ほかにもある。米軍に接収された小湾には尚家の別荘が置かれ、仲間は浦添の中の浦添として「ウラシー」と称されていた。戦前の浦添の特産品は城間のスイカと小湾のナスで、畜産では伊祖の肥育牛が優秀と言われた。取材では、浦添に暮らしていた先人たちの息づかいを感じることができた。同時に出身地でもある浦添への愛着がいっそう強まった。

市役所から望む浦添の市街地。戦後、基地建設などに伴い急速に発展。近年は那覇市のベッドタウンとして働き盛りの世代が多く住む

 そんな浦添について、沖縄学の父として知られる伊波普猷は1905年に発表した「浦添考」で、「実に『きこゑうらおそいや(名高き浦添は)あぢの(按司の)すでおやぐに(産地)』であった。思うに浦添は首里のできない以前においては沖縄島の中心であったろう」と考察した。

 このコラムをご覧になった読者の皆さんも、自然豊かで歴史香る浦添に足を運んでみてはいかがでしょうか。

(浦添市、西原町担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。