今必要なのは生活者の下克上 良識ある選挙制度を 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


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 私の小さな寝室には、亡くなった身近な人たちの写真が壁にあり、その数は年ごとに増える。静かな墓地で寝ているようだと思うが、亡き人々の安らぎに私も安らぐ。写真を見ると、その人々の声音や会話がよみがえる。戻らぬ日々の、自分の愚かさと向き合う時間だ。

 父と血のつながりのある親族に、私は1人も会ったことがない。誰一人、知らないのだ。親元を離れるまで、それを不思議ともさみしいとも思わなかった。父は一人息子で、両親が幼い頃に離婚し、父親の手で育った。

 私にとっての祖父、その人もまた一人息子で、早くに両親を亡くし、15歳で生まれ故郷の富山から、薬売りに伴って徒歩で東京に出た。彼の父親が富山藩のご典医だったので、薬売りとは縁があったのだろう。そのつてもあったのか、順天堂大学の創立者の家系に書生として入り学校教育を受け、東京大学を中退してスタンフォード大学に留学、鉱山経営学を学んだ。

 後に北朝鮮の雲山郡で米国人の経営する鉱山に勤め、第2次世界大戦が始まる気配を感じ日本に戻り亡くなった。少年の日に出た富山の土を、祖父は再び踏むことはなかったようだ。父ののこしたメモを読むと、父母に連なる血族を探そうとしたがかなわなかった、とある。父の心中を察することもなく、浅瀬で溺れる人のように、生きることで手一杯だった自分の小ささが悔やまれ、わびるばかりだ。

 母親も同じように離散家族だ。明治維新、関東大震災、第2次世界大戦、それぞれの災いの度に、生活の基盤となる土地を離れた。関東大震災で母親と姉を亡くし、ほどなくして父親も失意のうちに亡くなり、伯父の家に世話になって育った。望郷の思いも血族を慕う気持ちも持ちながら、それらに縁薄く生きた父母を思うとき、父母に連なる土地は特別にいとおしい。帰属意識を育む故郷から切り離され漂流しながら生きるとき、人は個人として生きる道を探す。故郷の土に連なる国家への帰属意識は当然薄い。

 自然大災害、戦争、内乱、疫病は、内外の多くの人々から平穏な日常を奪い続け、今も離散家族を生んでいる。そのような人々に救いの手を差し伸べるのに国際政治は無力だ。混乱に乗じ、覇権を画策するのが国際政治の常道だ。ペシャワール会の中村哲医師がなしたように、人として信念と愛で生き抜いた、たった一人が、国家よりも大きな仕事をなし、災いに苦しむ人々に希望を届け、生きる道を開いてきた。国家への盲信に埋没してはならない。例えば具志堅隆松さんのように、自ら何ごとか行う人こそ、良心と良識の明かりで私たちを照らし、希望を辛うじてつなぎ留めてくれる。

 革命は起こさないが、革命の替わりに下克上で政治を刷新してきたのが日本の歴史だ。下克上が起きるのは、中央政府から遠い地方の人々の怨念や不満が極限までたまった時、あるいは外国の脅威が外圧となって迫る時、このどちらかだ。

 鎌倉幕府が武家政権を立ち上げたのも、地方武士の不満が結集したからだ。明治維新も開国を迫られ、地方下級武士が徳川幕府を倒した。昭和天皇が神の座を降り人間宣言をしたのも、内外で無数の命を失ったあの戦に敗れて占領され、国際裁判の圧力に追い詰められたからだ。臣民と呼ばれ、命も財産も天皇の名において差し出した国民が、政権を決める力を得た。これも下克上だ。

 目下の時代、下克上が起きても不思議はないところにこの国はある。北朝鮮のミサイルより怖いのは、軍事国家を美化するこの国の政治家たちだ。自民党党首選の様相を見ると、貴族化した独裁的政権の安倍晋三、麻生太郎両氏の強い支配が続きそうだ。世襲で政治資金をため込んだ政治貴族ではなく、良識ある普通の生活者の中から立候補する人が続々と現れる社会と選挙制度にすることが、今必要な下克上だ。
 

(本紙客員コラムニスト 菅原文子、辺野古基金共同代表、俳優の故菅原文太さんの妻)