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営業48年、惜しまれつつ閉店へ 理容店主、孫の散髪を最後に 沖縄・名護

孫の京佳さん(左)の髪を切る金城喜誠さん=1日、名護市宮里の金城理容館

 【名護】沖縄県名護市宮里で48年営業してきた「金城理容館」の金城喜誠さん(86)が1日、最後の客となった孫の京佳さん(18)の散髪を終え、はさみを置いた。8年前に他界した妻の敏子さん(享年79)と共に切り盛りしてきた店は、実直な金城さんの人柄と共に地域に愛されてきた。金城さんは「本当は100歳まで理容師として働きたかった。真面目に働いてきていいこともたくさんあった」と笑顔を見せた。

 名護市源河で生まれ育った金城さんは戦時中、家族と共に約35キロ離れた東村高江まで歩いて避難した。ビワなどを食べて飢えをしのぎ、終戦後に源河小、羽地中を出たが、高校は不合格となった。

 意気消沈した金城さんは一時引きこもりの生活を送っていたが、貧しい生活の中、母親が豚を売って手に入れた馬の世話をするうちに元気に。米軍基地内で清掃員として働いた後、コザ市(現・沖縄市)のコザ十字路にあった平良川理容館と大城理容館で見習いとして修行し、米軍キャンプ・フォスターを経て名護市辺野古のキャンプ・シュワブと、基地内の理容室で働き始めた。


米軍キャンプ・シュワブの理髪店時代に同僚らと記念撮影する金城喜誠さん(左)=1969年、名護市辺野古

 「兵隊はみんなバリカンで刈り上げだったので、使う英語も限られていた」と懐かしそうに話す。散髪代は25セントで整髪料は10セント。「いろいろサービスを付けたら散髪代よりも多く稼げた。でも、ベトナム戦争の時には海兵隊員たちが前線に送られていった」と、戦争に左右されたことを振り返る。

 復帰の年に2週間猛勉強して日本の理容師免許を取得。当時畑が広がっていた宮里の道沿いに土地を求め、店舗兼自宅を構えた。長女の好美さん(53)、長男の茂利さん(52)、次女の友子さん(50)、三女の文子さん(47)の1男3女に恵まれたが、「朝8時から夜8時まで働き詰めで、平日は一緒に夕食を食べた記憶はほとんどない」(好美さん)。

 多い日は1日30人ほどの来客があった。年末年始、「正月断髪(しょうがちだんぱち)は夜9時まで忙しかった」。日曜日は店を休み、家族サービスや趣味の畑作業にいそしんだが、立ち仕事で腰痛が悪化、店で転倒して骨折するなど体調面で不安を抱え、店をたたむことを決意した。

 86歳の誕生日を迎えた1日、子どもたちが金城理容館に集まり「48年間ありがとう」とねぎらい、誕生ケーキをプレゼントした。「定年がないのがこの仕事の魅力だった。仕事をし続けたことでこの年まで健康でいられた」と笑った。最後の客になった名護高校3年の孫、京佳さん(18)は「いつまでも元気でいてほしい」と声を掛けた。
 (松堂秀樹)



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