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「仏滅総選挙」を読み解く 合理主義に危うさ<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 岸田文雄首相は、首相に就任した10月4日に同月24日に衆議院を解散し、19日公示、31日に総選挙を行うと発表した。野党と一部のマスメディアが岸田政権の閣僚、自民党幹部の疑惑に対する攻勢を強めようとしている状況で、電撃解散を決めたのは、選挙結果のマイナス(いずれにせよ自民党は議席を減らすとみられている)のミニマム化という合理主義に基づいてなされた決断だ。

 政治家(特に保守系の政治家)は、政治日程を決定するときに暦を気にする。総選挙を仏滅に行うことは避ける傾向がある。政治は複雑系だ。

 アマゾンの森でチョウが羽ばたいたことが原因で、北米に大きなハリケーン(嵐)が起きるようなことはあり得る。しかし、それを事前に予測することは不可能だ。複雑系は人間の目からは人知を超える出来事のように映る。努力がそのまま結果に結び付くわけではないということを何度も体験した政治家は、人知を超えるものに対する畏敬の念を強める。政治家が暦を重視するのもその現れだ。

 ちなみに前回、仏滅に行われた総選挙は2000年6月25日、森喜朗首相の下だった(いわゆる「神の国選挙」)。公示日(6月13日)も仏滅だった。

 この総選挙で自民党は38議席を失った。森氏は人知を超えるものに対する畏敬の念を強く持つ政治家だったが、このときは外交日程なども考慮して仏滅である6月25日にしか総選挙を行うことができなかった。
この総選挙により森政権の権力基盤は弱体化し、同年11月に加藤紘一氏、山崎拓氏らによる倒閣運動「加藤の乱」が起きた。今回の総選挙の結果、自民党が議席を減らし、岸田政権の権力基盤が不安定になる可能性も排除されない。

 重要なのは、今回の解散・総選挙の日程を決める際に岸田首相の判断基準が合理主義だということが見えたことだ。これが岸田政権の沖縄政策にも深いところ(無意識のレベル)で関係してくると筆者はみている。

 国際基準でみた場合、沖縄と日本の関係で起きているのは民族問題だ。大民族は、自国内の少数民族を差別し、抑圧しているとの認識を抱かないのが通例だ。日本の陸地面積の0・6%を占めるに過ぎない沖縄県に在日米軍専用施設の70%が集中している現実自体が差別なのであるが、東京の政治エリート(国会議員、政治家)のみならず日本人の大多数がそれを「自然なこと」と見なしている。

 中央政府の思惑で、沖縄にはさまざまな分断が持ち込まれている。辺野古新基地移設を容認する沖縄人も、複雑な感情を抱いている。もろ手を挙げて中央政府の政策を支持しているのではなく、沖縄に対する不当な取り扱いであるが我慢しているに過ぎない。また政治的には辺野古新基地建設に反対して沖縄寄りの姿勢を示す政治家や活動家の中にも、沖縄に対する構造化された差別に鈍感な人もいる。

 こういう日本人に対して沖縄人は違和感を覚えている。沖縄人の複雑な感情を理解するためには、合理主義だけでは不十分だ。翁長雄志前知事は、沖縄の思いを「魂の飢餓感」と表現した。それに共感する心を持てるかどうかが、沖縄人が日本の政治家を判断する際の基準になるということを岸田首相が理解することを願っている。

(作家・元外務省主任分析官)