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国への異論認めず規制 後退した「表現の自由」回復を <メディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
衆議院で第100代首相に選ばれ、起立する自民党総裁の岸田文雄氏=4日

 第100代内閣総理大臣が決まった。傀儡(かいらい)とか後継といわれているが、その前提となるのは2012年12月から8年半にわたる「安倍・菅政権」の評価だ。第1次の06年9月から数えると丸15年になるが、この間に表現の自由は大きく縮減し、ジャーナリズムは変節してしまった。それは紛れもなく民主主義の土台が揺らいだということだ。

 

相次ぐ表現規制立法

 戦後の日本は、戦前戦中の深い反省のもと、世界に類を見ないほどに表現の自由に厚い憲法規定を有し、社会は曲がりなりにもその自由を大切に扱ってきた。

 しかし01年9月11日以降の世界的潮流でもあるが、国益を優先し、国家安全保障は常に表現の自由より優先することを明言し、法制化してきたのがこの政権だった。

 武力攻撃事態対処法等を制定(03年)・強化(15年)し、続いて秘密保護法(13年)を新設することで、政府は自らが秘匿したいと思う情報は実質未来永劫(みらいえいごう)、国民の目から覆い隠すことができるようになった。

 01年に施行された情報公開制度は、その後一度たりとも実質改正されることなく放置され、世界水準からしても周回遅れなうえに、前述の法制は、その実質運用を骨抜きにするものでもあった。その後続くことになる自衛隊日誌、そしてモリ・カケ・サクラと称され森友・加計・桜を見る会の公文書の隠蔽(いんぺい)・改竄(かいざん)・廃棄は必然の結果であったともいえよう。

 表現に対して制約的な立法傾向はほかにもある。この政権中に成立した法の特徴に、「配慮・留意」条項付きが多いということだ。安保法や秘密法以外にも、憲法改正手続法(07年)や共謀罪(組織的犯罪処罰)法(17年)も、表現一般や報道活動に対し配慮する旨をうたう条文がある。憲法で例外なき保障をうたう表現の自由を、わざわざ特別法のなかで再確認する必要性は薄い。にもかかわらず入れざるを得ないほどに、他の条文が制約的であり危うい存在であることの証左であるということだ。

 さらにはドローン規制法(16年)も、小さく生んで大きく育てるの典型で、政令等でその対象地域があっという間に拡大し、取材の制約になってきている。土地利用規制法(21年)で運用上の危惧が絶えないのも、こうした過去の例があるからに他ならない。さらにいえば、この間改正を重ねた個人情報保護法の大幅緩和(21年には全面改正)によって、情報主体である市民の権利保障はないまま、個人情報を預かる立場の行政機関や企業の縛りだけが緩められる状況が続いている。新自由主義路線が市民の権利や自由を狭める危険性と背中あわせであることを示しているものだ。

強まる行政規制圧力

 さらにこうした立法上の締め付けに平仄(ひょうそく)をあわせるように、行政もまた強い圧力をかけることで、言論表現活動はどんどんしぼんできた。その最たるものが放送分野で、行政指導に始まり、文書の発出などで政治的公平さを事あるごとに求めることで、番組中での政権批判は許されない空気を醸成することに成功した。16年の総務大臣による放送法違反を理由とした電波停止命令への言及は、その象徴であった。

 こうした風潮は地方行政にも広がり、中立性の欠如に始まり政治性を持つこと自体が忌避され、集会やデモ、自治体後援行事が次々に中止や見直し等の対応に迫られることになった。そして同じことは、より自由度が広かったはずの芸術分野にも及ぶことになる。

 その象徴例が19年のあいちトリエンナーレである。政府は中止に合わせるように補助金のカットというかたちで、展示内容に問題があるとの烙印(らくいん)を押し、まさに忖度(そんたく)の強制状況が生まれていった。こうした動きは、それ以前からじわじわ広がってきていたもので、いわば必然の結果ともいえるだろう。

 さらに、首相の街頭演説に対するヤジを排除したり、沖縄の駐留米軍や新基地建設に対する抗議活動に、嫌がらせ的な取り締まりを重ねて行ったりと、表現の自由の中核である批判の自由の規制は、拡大の一途をたどっている。

 この沖縄に対する「攻撃」は、政治家、著名人の発言に刺激され、閾値(いきち)が下がることで、ネットの世界でもリアル社会でもエスカレートしたのもこの時期に重なる。さらには差別言動を容認するかのような政治家発言が、結果的に反中嫌韓の空気を後押しし、精神的結界が崩壊する中で、ヘイトスピーチが市中にあふれるような状況を生んでいる。皮肉にもその結果、差別・憎悪表現を取り締まる必要性が生まれ、表現規制立法がなされることになった。

 また、こうした風潮や行政の姿勢は、市民活動や芸術にとどまることなく学術分野にも及び、20年には日本学術会議の新会員を、理由を示さないまま官邸意向で認めないという前代未聞の措置を強行することになった。まさに、政府への異論は認めないという強い姿勢の表れである。

ジャーナリズムの役割

 こうした状況に本来、最も厳しく対峙(たいじ)しなくていけないのがジャーナリズムである。言論報道活動は、表現の自由の具体的な実行者であるとともに守り手であることが求められているからだ。にもかかわらず、この間の取材・報道活動は後退に次ぐ後退を余儀なくされている。

 その象徴例は首相・官房長官会見であろう。もともと記者会見は政府と報道陣の共催で実施されるものである。しかし、最近の首相会見の現実は、一方的に政府の広報官が仕切り、政府に覚えのよい社だけが指名され、当たり障りのない質問をし、首相は用意された紙を読み上げるという状況が続いている。

 一部社がその開催形態の変更を求めたものの、報道界の中で多数意見になることなく、1社1人1問限定の未消化の会見が続いた。その結果、市民からの批判は政府に向かうのではなく、だらしないメディアに向かうことでますます信頼性を失うという悪循環に陥っている。

 昨今の規制区域への取材のための立ち入りに対し、ネット上でもっぱら記者への批判がなされる状況はまさに今日的な市民とジャーナリズムの関係を示すものだ。言論報道機関が市民の支持や信頼を失いつつあることで、政府はより強力な圧力を取材や報道にかけ、真実は厚いベールの奥に包み込まれてしまっている。この最大の犠牲者は、まさに市民そのものだ。民主主義の危機を克服するためには、表現の自由の制度的保障と自由闊達(かったつ)なジャーナリズム活動が不可欠だ。政権交代は、そのための転換のまたとないチャンスでもある。

(専修大学教授・言論法)


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 本連載の過去記事は『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。