<琉球料理は沖縄の宝 安次富順子>8 国際色豊かな宮廷の菓子 中国や日本の影響で独自に発達


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 飽食の時代といわれる今、私たちの周りには洋菓子、和菓子、チョコレートやスナック菓子などいろいろな菓子があふれています。全国各地に、その土地なりの菓子が存在し、また世界各国にも同じようにいろいろな菓子が存在します。沖縄にも宮廷で使われた格調高い菓子から一般庶民に好まれた菓子まで数多くあります。菓子を考えるにあたり、王朝文献に出てくる161種の菓子を王朝菓子とし、それ以外を庶民の菓子としたいと思います。

桔餅

<琉球王朝の菓子>

多様な素材

 沖縄は450年間の琉球王国時代に、中国、日本の影響を受け、独特の料理・菓子文化を発達させました。王朝における儀式の供物、賓客の饗応(きょうおう)の料理と菓子は、王府の料理座に勤める包丁人(ホウチュウ)によって作られました。王朝における菓子は、王朝ならびに貴族(御殿(ウドゥン)、殿内(ドゥンチ))の祭事、法事、日用の茶菓子として用いられました。砂糖が貴重品であったことから菓子は王朝と貴族以外はめったに口にすることはありませんでした。

 菓子の記録として『与那城御殿御菓子并万例帳』(1879年)があり、これには菓子の名前、材料、分量などが記されていますが、作り方の記載はありません。菓子の材料は、麦粉、米粉、もち粉、砂糖、卵、豚脂などが主材料で、豆類、ごま、落花生、桔餅(チッパン)、丁子、けしなどが加わり、着色料として、赤系統は蒸し菓子に紅麹、焼き菓子に正延紫(ソーエンジ)、黄はくちなし、緑は青菜が使われました。また、熱源の薪は蒸し菓子、炭は焼き菓子に使われました。私はこの『与那城御殿御菓子并万例帳』に基づいて王朝菓子の再現に当たりました。

 冊封使(さっぽうし)の饗応料理には、黄米糕(もち粟の蒸し菓子)、ケサチイナ(卵黄餡の焼き菓子)、水山吹(黄、赤、緑の三段重ねの軽羹)、浅地あめ(ごまをまぶした複雑な葛餅)、色付き高麗餅(コーレームチ)、大巻餅(ウーマチムチ)(渦巻き状の扁平(へんぺい)な揚げ菓子)などが用いられましたが、ほとんど姿を消しています。菓子としては登場しないのですが、菓子材料として桔餅があります。

 桔餅は、クニブ(九年母)などのかんきつ類を砂糖で煮詰めたものです。かつて、桔餅は進貢使が中国から持ち帰り、王様への献上品としていましたが、1731年以来、それが途絶え、琉球で作られるようになりました。菓子材料として使われる一方、何時の頃からか桔餅を砂糖衣でくるみ、菓子として扱われるようになりました。今は、那覇の謝花きっぱん店で作られています。

継がれる中国菓子

 

水山吹

 今、私たちが接する王朝菓子は、あまり多くありません。中国系の菓子は結構残っていますが、南蛮系、和風の菓子は少ししか残っていません。中国系の菓子はおいしいことに加え日持ちのすることなどから、受け継がれています。

 チンスコウ(王朝時代は菊型)、鶏卵糕(チールンコウ)(表面に赤く染めた落花生や桔餅で飾った卵をたっぷり使った蒸し菓子)、光餅(クンペン)(ごま餡の焼き菓子)、闘鶏餃(タウチーチャオ)、里桃餅(リトウペン)、千寿糕(センジュコウ)のこの三つはラードで作るパイ生地のようなものでごま餡を包んだもので、揚げ菓子、焼き菓子です。

 ポーポー、チンビン、桔餅などがあります。チンビンは庶民の菓子と思われがちですが、その昔、薩摩の殿様に献上したという記録もあります。

 南蛮菓子の花ぼうる、カステラは今も作られますが、ケサチイナは姿を消しています。花ぼうるは、一見型抜き菓子と思われがちですが、卵黄、砂糖、小麦粉をこねて作った生地を長方形に調え、切り込みを入れて成形し、焼き上げる手の込んだ菓子です。花ぼうるは、江戸時代の江戸ではやった菓子ですが姿を消し、現在沖縄にだけ残っている貴重な菓子です。

清明祭

 

花ぼうる

 王朝の流れをくむ日本料理系のもてなし料理です。御冠船料理が五段構成なので、混同されがちですが、全く違うものです。日本料理の本膳料理に匹敵する献立料理で、料理数は二十数種になります。昭和の初めまで、首里、那覇の上流階級家庭で還暦や古希、結婚式などに用いられました。膳の形式は日本料理ですが、盛り込む料理は、琉球料理で、中身のお汁、イナムドゥチ、花いか、ンブシ豚(今のラフテー)、ドゥルワカシー、クーブイリチー、サーターアンダーギーと白アンダーギーのセットなどです。用いる膳の大きさ、器などにも決まりがあり、また迎える客や主人側の衣装も正装というように決まりがありました。食材や道具の調達は、催される日の半年位前から準備をしていたと聞いています。この規模の宴は、現在、家庭ではなくホテルなどで行われており、昔の人たちのもてなしに対する姿勢に感銘しています。

和風は餅が主流

 和風の菓子は餅が多く、主に祭祀(さいし)用に用いられました。大きな甑(こしき)で作り、24~36に切り分けられる12センチ×13センチ×2センチの大型の菓子で、需要がなく廃れたのではと思われます。

 また、葛餅(くずもち)もれっきとした王朝菓子です。現在、全国的に葛餅と言えば、くず粉に生麩を混ぜて水でこねて蒸した餅で、きな粉、糖蜜をかけたものを指します。沖縄の葛餅は、黒砂糖液に芋くずを混ぜて練り上げ、きな粉をまぶしたものをいい、古い形式の葛餅です。

 さらに、松風(マチカジ)は、小型で色もついておらず、茶菓子として使われたと思われます。現在沖縄で松風というと、結納の時に用いられている赤く大きく結んだものを指しますが、これは沖縄独特で、いつから赤く大きくなったかは定かではありません。

 (琉球料理保存協会理事長)
 


 安次富順子(あしとみ・じゅんこ)

 那覇高校、女子栄養大学家政学部卒。1966年~2016年まで新島料理学院、沖縄調理師専門学校(校長)勤務。沖縄伝統ブクブクー茶保存会会長。主な著書に「ブクブクー茶」「琉球王朝の料理と食文化」「琉球菓子」など。


~~ウチャワキ~~

沖縄で変容したものも

 沖縄に伝えられた後、変容した菓子があります。着色に変化があるものに「ケサチイナ」のピンク色、「松風」の赤があります。また「水山吹」は、上下、山吹色の軽羹(かるかん)の間に羊羹(ようかん)であったものが、上から、山吹色、赤、緑の軽羹に変容しています。さらに「高麗餅(コーレームチ)」は小豆を練りこんだ餅菓子ですが、沖縄ではそれを「江戸高麗餅」、小豆の入らないものを「高麗餅」と言い、色付けもしています。「鶏卵糕(チールンコウ)」の赤い落花生と桔餅を飾るのも変容の一つです。