米国と眞子さん 両者から見放される日本 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


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 眞子さんと小室圭氏の結婚がメディアやネットで騒がしい。恋する姫君のいちずさ、全ての儀式と一時金を辞退したけじめのつけ方、小室氏の並々ならぬ異国での努力には感服する。前途ある若いお二人の幸せはもちろん、小室氏の母上のお幸せも祈りたい。

 著名な文化人、識者たちが、小室氏の母上の人生行路をメディアであげつらっていたが、彼らは人生で過誤も瑕疵(かし)もなく完全無欠に生きてきた、とでも思っているのだろうか。誰もが宿業と煩悩を背負い、苦楽混ざった人生を生きている。公の場でなんの権力も持たない一般女性の生き方を難詰する資格は、誰にもない。「汝(なんじ)らのうち罪なき者のみこの女を石もて打て」、キリストが集まった人たちにこう言うと、良心にとがめられ1人また1人と立ち去り、最後には誰もいなくなった、と新約聖書にある。

 皇室を国民より一段高い身分制に封じ込め国民に仰ぎ見ることを強いるのも、民主主義としてはダブルスタンダードだ。一国二制度の国ではないのだから、天皇皇后ご夫妻も各皇族も、日本人の一人として自由と個人の幸せを追求する人権が保障されてこそ、民主主義として確かではないのか。神話と宗教性を内包する皇室の伝統行事と国家行事の間に一線を画し、秋篠宮が大嘗祭(だいじょうさい)の折に言われたように、伝統行事は内廷費で賄うなど、長くこの国に残る政治意識の後進性から国民も政治家も脱皮する時に来ている。

 国民と皇室、国政の三者それぞれが民主主義のルールに則したけじめをつければ、皇族の方も個人としての人生を楽しみ、あり得ないほどの人格の完璧性を求められる空想的一体化要求に追い詰められることもなくなる。それが21世紀に足を踏み出した日本、自由と平等を掲げる国のスタンダードだ。

 お二人の今後の私生活に心配をするおせっかいな世論も一部にあるが、他人の心配より自分の心配をした方が良い、危うい時代に日本は突入している。米国というボスのオス猿に気に入られようと甘えとこびを振りまくメス猿のごときこの10年の日本の内政と外交が、日本を停滞、劣化させてきた。国力を低下させた日本は、同盟国・米国にも見放されかけている。

 北朝鮮への米国の影響力を強めるために日本は無力無策でいかなる力もなく、国力を付けてきた韓国と手を結ぶ方向を米国は選択するだろう。中国、ロシア、北朝鮮、この政治的には共産主義、経済的には資本主義を志向する競争相手国と丁々発止の外交戦を有利に戦うために、米国は日本列島、とりわけ沖縄諸島に展開する軍事基地に、これからも執着するだろう。

 日本側が、いまさら屋上屋を重ねるようにこび甘える必要はなく、沖縄基地を削減する交渉を不退転の覚悟を見せて日本側が交渉すれば、東アジアににらみを利かせ続けるために日本列島を必要と考える米国は渋々交渉の席に着かざるを得ない。

 台湾有事と中国の海洋進出を、日本は国防力強化、米国との軍事同盟を一層強化する口実にしているが、米国から見たら日本は必要であるが十分ではない。インド、オーストラリア、東南アジア諸国にもハグやキス、武器で吸い寄せる一夫多妻のボス猿米国は、政権の保守リベラル色を問わず、これからも自国の利益を容赦なく追求し続ける。

 軟弱地盤の辺野古新基地に莫大な税金を消費し続け、地球環境を重視する世界世論に逆らって建設することに、外務省、防衛省、内閣府の誰も合理的理由を答えていない。日本陸軍が大敗した時のように意思決定と責任の中心なき空洞の権力構造だからなのか、米国の愛人の座を失うまいとのオモテナシの一つなのか、辺野古弾薬庫に核兵器が置いてあり、露見すれば日米安全保障条約が崩壊するからなのか、この謎が解かれない限り、政治への不信は消えない。

(本紙客員コラムニスト 菅原文子、辺野古基金共同代表、俳優の故菅原文太さんの妻)