ペ・ポンギさんを忘れないで 照屋大哲(那覇・南部班)


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written by 照屋大哲(南部報道部)

 「忘れたくない」。その思いで始めた取材だった。1944年、日本軍「慰安婦」として朝鮮半島から沖縄に連れて来られ、戦後も沖縄で生き続けた裴奉奇(ペ・ポンギ)さん=享年77。30年目の命日となった今年10月18日、琉球新報社会面にぺさんの数少ない、はにかんだ写真と共に記事が掲載された。新たな証言や遺品が見つかった訳ではない。それでも「ペ・ポンギさんを忘れない」との思いを記事にするために、没後30年という一つの節目を逃したくなかった。

ペ・ポンギさんの数少ない笑顔の写真=1988年前後、本島中部(金洙燮さん撮影、金賢玉さん提供)

 沖縄は2022年に復帰50年を迎える。紙面では政財界や文化芸能、スポーツなど多分野の功績や課題を振り返ることが増えてきた。

 その都度、私は思う。ぺさんの目に沖縄はどう映っていたのだろうか、と。ぺさんは生前、「戦争のときよりも、一人で生きてきた今が苦しい」と話していたという。戦後、身寄りもなく、生活保護を受け、一人沖縄の地で生きていかざるをえなかった苦悩。時に沖縄の人から「チョウセナー」と蔑称で呼ばれ、石を投げ付けられることもあったという。

 ぺさんに関わった人々への取材を通し、「忘れたくない」という私の個人的な思いは、「忘れないでほしい」と読者に共感を求める思いに変わっていった。沖縄戦、戦後、復帰という歴史の中にペさんがいた事実を、記事を通し刻みたい。一人でも多くの人に忘れずにいてほしい。

(豊見城市、八重瀬町、久米島町、南大東村、北大東村担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。