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<佐藤優のウチナー評論>総選挙と国家統合 沖縄の要望実現が鍵


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
佐藤優氏

 31日に投開票が行われる衆議院議員総選挙に関する報道を読んでいると、沖縄においては他の都道府県と比して選挙に対する有権者の関心が高いことが分かる。政治の力により経済状況を改善し、米軍基地負担を減らしてほしいという県民の要望を反映している。このことは同時に県民の多くが、日本国家の枠内で問題解決を意図していることを意味する。沖縄人が日本の中央政府に対する信頼が失われれば、国政に対する関心が低くなり、自己決定権を行使して独立しようという動きが強まる。

 沖縄が経済的に脆弱(ぜいじゃく)な状況に置かれ、米軍専用施設の過重負担からの解消に中央の政治エリート(国会議員、官僚)が真剣に取り組んでいない状況を見ると、筆者はモスクワに外交官として勤務していたときの記憶がよみがえってくる。

 1989年3月29日にソ連人民代議員大会(国会)の選挙が行われた。これは複数の候補者が立候補できるようになった初めての選挙だった。それまでは共産党が指名した候補者1人に対する事実上の信任投票だった。ソ連国民は、選挙によって自分たちの代表を国政に送り出し、政治に民意を反映させることができると喜んだ。

 確かにこのような民主化は、ロシアやウクライナではかなり実現された。他方、中央政府は沿バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)住民の要請にはほとんど応えなかった。沿バルト三国の人々は、各国の文化と言語の尊重、召集兵を出身共和国内でのみ従軍させること、これら三国がナチス・ドイツとソ連の間で締結された独ソ不可侵条約の秘密議定書(モロトフ・リッペントロップ秘密議定書)によってソ連に併合された事実を認めてほしいとソ連政府に訴えていた。

 これらの要求を認めると沿バルト三国のソ連からの離脱傾向が強まることをソ連共産党と中央政府は懸念し、沿バルト三国の声を無視した。ちなみにソ連憲法では、連邦を構成する共和国はソ連から脱退できるという規定があった。

 89年末ごろから沿バルト三国では人民戦線運動が活発になり、共産党が独立派(多数派)とソ連派(少数派)に分裂した。独立派の人々は、「ソ連国会に頼っていても時間の無駄だ。そもそもわれわれはソ連の構成員はないので、ソ連の国会に参加する必要はない。地元議会を活性化し、独立の基盤を作る」という方向にかじを切った。

 91年1月にはソ連軍の介入でリトアニアでは死傷者が発生したが、それが沿バルト三国独立とソ連崩壊の流れを作ることになった。89年3月に人民代議員大会の選挙が行われたときは、2年7カ月後にソ連が消滅すると思っていた人はいなかった。国民の政治意識が短期間で大きく変わるという現実を筆者は目の当たりにした。

 沖縄が日本から独立すると現時点で考えている人は圧倒的少数派と思う。しかし、今後の中央政府の沖縄に対する対応と、沖縄人の自己決定権に対する意識が変化すれば、1~2年で沖縄独立に向けた動きが本格化する。今回の総選挙に立候補した全ての人に沖縄を巡り日本は潜在的に国家統合の危機をはらんでいるのだという認識を持ってほしい。

(作家・元外務省主任分析官)