米軍西普天間地区跡で琉球王国時代「宿道」発見 考古学会「現地保存を」宜野湾市「厳しい」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
西普天間住宅地区で確認された中頭方西海道。中央手前から石を敷き詰めた道が延びている(宜野湾市教育委員会提供)

 【宜野湾】宜野湾市の米軍キャンプ瑞慶覧・西普天間住宅地区の返還跡地で12日までに、琉球王府時代の中頭方西海道の一部「喜友名・新城の宿道」と土地測量のための図根点「印部(しるび)土手石」が見つかった。沖縄考古学会(上原静会長)が「学術的に極めて重要」として現地保存を求めたが、市は印部土手石に隣接する幹線道路の建設が本年度に着工を予定していることなどから「現地保存は厳しい」と回答した。

 中頭方西海道は琉球王府時代の主要道。印部土手石は1737~50年の王府による検地の際、約1万基が設置された。

 宜野湾市教育委員会の2018~19年の発掘調査などで、宿道は岩を砕いたれきを敷き詰めて造られ、幅2メートルほどであることなどが分かった。返還跡地内に位置する長さは約750メートル。湧き水やグスクにつながる支路も確認された。

 印部土手石は幹線道路の建設に伴う調査で昨年7月に見つかった。19年3月までに確定した市の計画で、宅地の保留地(売却するための土地)となっている。

 市は宿道を「歴史の道」として保全、活用したい考えだ。計画を変更して宿道に沿って公園を帯状に伸ばすことを検討する。計画が変更されれば宿道の350メートル以上が残る。ただ従来計画で仮換地まで終えていたため、変更は地権者の合意形成が前提だ。年明けに地権者説明会を開く予定。

 市は幹線道路を一部、橋にすることで遺跡を残すことも検討したが、事業が大規模となり工期が見通せなくなるため断念した。市は印部土手石をいったん市立博物館に移し、復元する。「将来的に現地復元による公開活用を視野に検討を進める」としている。

 沖縄考古学会は、印部土手石が「原位置で現存する例は希少だ」とする。中頭方西海道の一部が浦添市などで国指定史跡となっていることを挙げ「史跡指定を視野に入れた遺構の保存と活用」などを市に要請している。