不規則な仕事、入院、異動…できることから支援<記者、里親になる>3


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記者の自宅で遊ぶ子ども。お気に入りのおもちゃと共に

 研修を経て養育里親の認定を受けた。里子の受け入れができるようになり、数日間引き受けることから始めた。

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 「養育里親認定・登録証」が沖縄県から届いた。日付は2011年10月20日。有効期限は5年間。「期限前に再び研修を受けて更新する」「児童相談所と密接な連絡をとり児童福祉の向上に協力する」ことと記されていた。

 登録番号は100番台前半。少なくとも、それだけの里親がいることを表している。11年当時、私たち夫婦は34歳。会員の中でも若い世代だった。

 登録から半年ほど過ぎた頃だろうか。子どもの受託を児童相談所から打診された。期間は社会的養護の上限年齢に当たる18歳までと言われた。

 望んでいた話だった。打診をきっかけに、里親に登録したことを親類に初めて語った。当時の私たち夫婦は共働きだった。

 里親の登録には共働き、一方が主夫・主婦であることは問われない。受け入れられる環境にあるかどうか、その時の生活状況や働き方を踏まえて判断する。

 夫は報道記者、妻は医療の専門職。突然の養育に対応するには、私たちは周囲からの協力、支援が欠かせないと考えた。ところが、期待した答えを得られなかった。環境が整っていないとして見送った。

 できることから関わろうと、当面は別の里親を支援する「レスパイト」に取り組んだ。レスパイトは英語で「小休止、一休み」などの意味があり、養育に追われる里親が休みを取れる制度だ。未受託の里親が1日や数日、代わりに引き受ける。レスパイトを通じ、別の里親と交流することもできた。

 レスパイトでは子ども1人から、きょうだいまでを任された。年齢は未就学児から小学生まで。子どもたちは私たちの自宅に来ると元気に動き回る。自宅を出て、ドライブや散歩などをして過ごすこともあった。コロナ禍のさなかである2020年も受け入れたが、公園など外に連れ出せず、退屈していないかと気がかりだった。

 約束の時間になると、受託している里親宅まで送り届けた。子どもたちは一直線に駆けて里親へ抱きついた。信頼関係が形成されていると感じた。

 児童養護施設で暮らす子どもたちが家庭的な雰囲気で過ごすことができるよう、土日に受け入れる「週末里親」や年末年始などに受け入れる「季節里親」もある。

 2014年、私たち夫婦に予期せぬ事態が起きた。妻に病が見つかり、手術を受けた。16年にも再び同じ手術を受け、いずれも入院は数カ月に及んだ。養育も含め生活や働くことへの支障はないものの、今も治療が続く。この間の18年から2年間、私は人事異動で名護市を拠点とする北部支社の報道部に移った。当初は単身赴任だった。

 タイミングは合わないものだ。異動の直前、子どもの受託をあらためて打診された。わが家で子どもと面談までしたが、異動の件を伝えると、結局は見送られることになった。
 (島袋貞治)