<琉球料理は沖縄の宝 安次富順子>9 サーターアンダギーから紅芋タルトまで 庶民の菓子はこんなに豊か


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 王朝時代は菓子が非常に貴重なもので、庶民は口にすることができませんでした。かつては王朝菓子であったものが、現在では庶民でも当たり前に食べることができるようになった菓子もあります。また戦前から長く親しまれた庶民の菓子や戦後生まれた多くの菓子があります。長く親しまれた庶民の菓子を分類すると、揚げ菓子、焼き菓子、蒸し菓子、餅菓子、その他に分類されます。

サーターアンダーギー

<多彩な調理法>

揚げ菓子

サングヮチグヮーシ(三月菓子)

 「サーターアンダーギー」、「ンムクジアンダーギー」、「サングヮチグヮーシ」(三月菓子)などがあります。「サーターアンダーギー」は、卵、砂糖、小麦粉で作る生地を丸めて油で揚げますが、自転をしながら球形の一方がはじけてチューリップのような形になります。サーターアンダーギーは沖縄の代表的な菓子ですが、全国的にも広く知れ渡っています。

 「ンムクジアンダーギー」は、芋くずと蒸したさつま芋をこねて油で揚げたもので、もちっとした独特の触感を楽しめます。

 「アンダーギー」というのは、てんぷらの衣のような生地そのものを揚げたもののことで、てんぷら、から揚げなどの「アギムン」(揚げもの)と区別されて使われています。

 また「サングヮチグヮーシ」は、サーターアンダーギーより少し硬めの生地を長方形に調え、縦に切り込みを入れて揚げると、切り込みがはじけた形になります。旧暦の3月3日の「三月お重」に用いられたことで、この名が付いたと思われます。

焼き菓子

 

 小麦粉と黒砂糖をこねて、生地だけを平らな円形にして焼いた「タンナファクルー」があります。むかし首里に住む玉那覇さんが作った黒い菓子といういわれがあります。王朝菓子の光餅(クンペン)が、卵黄、砂糖、小麦粉で作る皮でごま餡を包んで作る高級品なので、その代用品として作られたという説があります。タンナファクルーは郷愁を誘う味として根強い人気があります。

フライパンで焼く菓子

 

 小麦粉を水で溶いて薄く焼き、アンダンスー(油味噌(みそ))を芯にくるくる巻いた「ポーポー」、小麦粉を黒砂糖液で溶いてブツブツ気泡ができるように薄く焼き、くるくる巻いた「チンビン」は、ともに王朝菓子ですが、現在は庶民の味として親しまれています。

の饅頭

蒸し菓子

 小麦粉、黒砂糖をこねた生地を蒸して作る「ジーカステラ」「アガラサー」、ユーヌク(大麦の粉=はったい粉)に黒砂糖で甘みを付けた餡(あめ)を薄い小麦粉の皮で包み、丸く平らにして蒸した「天妃の前(テンピヌメー)饅頭(まんじゅう)」があります。また、小豆(あずき)餡を薄い小麦粉の皮で包んで蒸した「山城(ヤマグスク)饅頭」、小豆餡入りの蒸し饅頭に「の」の字を朱書きした「の饅頭」は、共にサンニン(月桃)の香り漂う首里の名物菓子として有名です。

餅菓子

ナットゥンスー

 餅粉、砂糖、赤味噌、ヒハツなどを混ぜてサンニンの葉の上にのせて蒸す「ナットゥンスー」は、正月のお茶請け菓子として作られました。かつての辻遊郭が発祥といわれ、辻の遊女が年末にごひいきの旦那さんに贈ったといわれています。

 中秋の名月に供える「フチャギ」は楕円(だえん)形の餅に小豆をまぶしたものです。「月や真中に星やあまくまにふちゃぎ赤まーみぶったくゎった」という狂歌があり、餅を月に、小豆を星に例えています。旧暦12月8日に作る「鬼餅(ムーチー)」は、もち粉をこねてサンニンやクバの葉に包んで蒸します。鬼退治の由来のある菓子です。

その他

 芋くずと黒砂糖を十分に練り上げて作る「葛餅(クジムチ)」は、スーパーなどで手軽に手に入りますが、元々は、れっきとした王朝菓子です。清明祭や旧暦5月5日に作られた「あまがし」は、元々は、麦を発酵させて作る甘酸っぱいものでした。現在は押し麦、豆、黒砂糖で作る一種のぜんざいのようなものですが、押し麦が使われることは必須で、そのとろみが特徴となっています。「沖縄ぜんざい」は赤豆を甘く煮たぜんざいにかき氷を山のように乗せたものです。戦後移入した赤豆を使ったもので、「あまがし」とはルーツを別にしたものです。

 読谷村の「楚辺ポーポー」は、黒砂糖味の香りのする小麦粉の生地をフライパンでホットケーキのようにふっくらと焼き、くるくる巻いたものです。戦前から諸行事には作られたという名物菓子です。

 戦後に作り出された菓子もあります。「塩せんべい」は、小麦粉に植物油と水と澱粉(でんぷん)を加え、圧縮機の型に入れて焼き上げます。焼きあがった表面に適量の塩をまぶすだけのとってもシンプルですが後を引く味のお菓子です。同じく小麦粉ベースの「亀の甲せんべい」も人気があります。「紅芋タルト」に代表される紅芋を使った菓子、「味噌クッキー」など多くの菓子があります。

 夏の風物詩ともいえる道路沿いに旗を立てパラソルの中で売っている「アイスクリン」は、アイスクリームとシャーベットの中間のような味わいで、乳脂肪が少なめということからあっさりした味わいです。

 (琉球料理保存協会理事長)
 


 安次富順子(あしとみ・じゅんこ)

 那覇高校、女子栄養大学家政学部卒。1966年~2016年まで新島料理学院、沖縄調理師専門学校(校長)勤務。沖縄伝統ブクブクー茶保存会会長。主な著書に「ブクブクー茶」「琉球王朝の料理と食文化」「琉球菓子」など。


~~ウチャワキ~~

庶民のお菓子の変遷

 明治時代の初期には、ハチャグミ、アミグヮー、ラッパ煎餅が売り出されていました。ハチャグミは、芭蕉包みと握りというのがありました。中期には首里真和志の玉那覇さんが作ったタンンファクルー、また山城(ヤマグスク)まんじゅうが、さらに大正時代には長崎カステラも売り出されました。当時はレンガ窯が使用されていますが、昭和10年ごろに電気釜が出てきます。
 【故新垣淑扶氏の手記より】