沖縄のユイマールは絶対的なものではない 中身を丁寧に描きたい 社会学者・上原健太郎さん 藤井誠二の沖縄ひと物語(33)


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 「県外へ遠征や大会で行くときに、メンバー全員で、すね毛をバリカンで刈ったり、脱色していったりしたんですよ。沖縄人は毛深いと思われることがなんとなく劣等感で―まあ、自虐的なネタなんですが―いまはそんなこと思ってないですけど」と上原さんは大阪・梅田のカフェで大笑いした。

子どもの頃、よく水遊びをしたという嘉手志川から流れ込む清水に足を浸す上原健太郎さん=糸満市大里(ジャン松元撮影)

 高校は県内で1位や2位を争うバスケットボール部を擁する強豪校のキャプテンだった。大学からヘッドハンティングされるかたちで関西の大学に進んだ。それまでは「社会学」という言葉は聞いたこともなかったが、今ではそれを在阪の大学で教える側に立っている。

野心的な研究

 昨年、上原さんを含む研究者4人(岸政彦さん、上間陽子さん、打越正行さん)で『地元を生きる―沖縄的共同性の社会学』を出版した。上原さんいわく、「この本は沖縄の階層研究であり、ジェンダー研究です。沖縄の多様性や複雑性を記述するということが最大の目的で書きました。沖縄の人たちはみんな仲良く助け合ってやっているとよく言われますし、“みんな”というカテゴリーでくくられがちですけど、たとえば学歴や経済的な格差とか、男性と女性の違いによって、助け合いのかたちが異なるんじゃないかといった問題意識です」。

 本書は、沖縄の「共同体」を便宜的に「安定層」「中間層」「不安定層の男性」「不安定層の女性」と腑(ふ)分けして、各氏が分担して執筆している。これまでにほとんど類を見ない野心的な研究だ。おそらく反発や誤解を招く可能性を筆者たちは想定しただろうが、企画をした岸さんの投げたボールはきちんと受け止めるべきだ。

 上原さんは「中間層」を担当し、居酒屋を立ち上げた地元の同級生(男性)たちの暮らしやその浮き沈みの過程について定点観測的に調査をおこなった。足かけ10年以上の調査記録である。その他にも、「沖縄の階層と共同性」という核的な論考を冒頭に書いている。沖縄の経済の「近代史」の推移と現状、沖縄の社会共同体の「性格」を正しく俯瞰(ふかん)する上で重要な論考だとぼくは思った。

 「この本は県民に対するメッセージというより、沖縄を含む日本社会に投げかけています。沖縄の外から沖縄は一枚岩的に見られているけれど、さまざまな多様性や問題があることを知ってほしい。それは、沖縄内部のある種の分断状況ともいえます。そのことを沖縄の人たちがどういうふうに受け止めるのかが心配でした。ぼくが対象にした同級生たちは大学には進まず、自分たちが“中間層”だと思っているわけでもないですし。自分たちのことが描かれたことについてどう思っているのか、個人的に気にはなります」

社会学にハマる

ガジュマルの木漏れ日の中でわんぱくだった少年時代を語る上原健太郎さん=糸満市大里(ジャン松元撮影)

 大学院の修士課程2年で卒業して就職するつもりだったが、学部生のときに読んだ、谷富夫さん―のちに大学院の指導教員となった―の『過剰都市化社会の移動世代』に感動したこともあり、「社会学のおもしろさに少しずつハマっていき」研究者の道を選択した。

 「地元の友人たちと、大阪の友人たちの生活の様子がまったく違い、その違いを知りたいと思って大学院に進学して、沖縄の友人たちの生活をつぶさに時間をかけて調べることにしたんです。沖縄研究には膨大な蓄積がありますが、まだまだ明らかにされていない人びとの暮らしや生活があると思うので、そこを追究していきたい。また、今はせっかく内地にいますので、内地で生活する沖縄出身者の研究にも着手したいと考えています」

 地元では、先輩・後輩の絶対的な関係性や、同級生同士の閉じた関係に居心地の良さを感じながらも、一方で違和感も感じていた。何かにつけ集まりがあると、先輩より先に帰れない。同級生同士でも集まりに必ず顔を出して“結束”を確認し合うような空気感がどこか苦手だった。

 「地元の友人や先輩後輩のことはいまでも大好きですし、当時のことはすごくいい思い出です。ぼくはどちらかというと、集まりに顔を出したり出さなかったりしたタイプなんですが、顔を出さないと関係性が壊れるような気がして。そのことがたまに負担に感じることもありました。その時に、つながることの喜びとしんどさを同時に学んだ気がします」と当時を振り返った。

ユイマール精神

 「沖縄では、日常会話の中にはユイマールとか出てきますよね。その精神があることはすばらしいといえるかもしれないけれど、言葉だけが独り歩きするとよくない。ユイマール精神が支配している濃い人間関係の中で生きている人たちの存在も否定できないですし、仮にユイマールは幻想だと言い切ってしまうと、その中で暮らしている人を傷つけることにもなりかねません。ユイマールは絶対的なものではなく、グラデーションがあると思います。それがどう機能しているのか、どう認識されているのか、階層やジェンダーによって違いはあるのか、その中身を丁寧に描きたいと思っています」

 「ある調査では県民の半分が模合をしているという結果があります。半分もしていないのか、ととらえるのか、半分もしているのか、ととらえるかによって意味が違ってきますよね。ぼくが描いた“中間層”は毎週のように模合に参加しています。飲食店同士とか、先輩・後輩とか、その関係性の中にいるからこそ、生きていける。それに対し、その関係性から逃げられない、という見方も成り立つと思います。その両義性があると思います。また、模合に入らなくても生活できる人もいるでしょうし、模合が苦手な人や、沖縄的な濃い人間関係が嫌な人もいます」

 小学校時代の一時期在籍していた、糸満市郊外の小学校校舎のすぐ横に、琉球三山分立時代(14世紀頃)の南山城跡がある。その東側には水量豊かな湧き水の遺跡、嘉手志川(かでしがー)がある。ここで毎日のように学校帰りに泳ぎ、ザリガニをとった。いまでは近所の子どもたちの格好のプールとなっている。そこでぼくたちも膝まで裾をまくり上げてつかり、語り合った。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

うえはら・けんたろう

 1985年9月12日生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科単位取得退学。博士(文学)。大阪国際大学人間科学部心理コミュニケーション学科講師(社会学)。主な著作に『地元を生きる』(岸政彦他との共著)、『社会再構築の挑戦』(谷富夫氏他の共著)、『ふれる社会学』(ケイン樹里安氏との共編書)などがある。沖縄の若者が「大人になっていく」過程を追跡調査している。沖縄の高齢者に対しての生活史調査も行っている。

 

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。