米軍機墜落60年「平和を創るのは私たち」川崎小6年生、体験者から聞いた、詩にした


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川崎米軍機墜落事故について、6年生全体の調べ学習で中心となった児童ら=3日、うるま市の川崎小学校

 【うるま】1961年12月7日の川崎米軍機墜落事故について、事故現場に近い川崎小学校ではことし、事故を風化させまいと、住民への聞き取りや、県内外の米軍機事故について調べる取り組みを行った。学習内容を盛り込んだ詩もつくった。「語りつなぐのは今を生きる私たちの使命だ」―。平和を願うバトンを引き継ぐ。

 遺族や当事者の心の傷は深く、住民も長い間、口をつぐんできた。同校で墜落事故に関して初の平和集会が行われたのは事故から52年後の2013年。川崎自治会を中心に「記憶を残そう」と証言集の編集が進められたことがきっかけとなった。

 60年の節目のことし、川崎小では、事故について受け身ではなく「継承者」として主体的に取り組もうと6年生全員が取材班、調査班などに分かれた調べ学習を展開した。

 豊浜瑛太さん(12)と伊禮慎佑(しんすけ)さん(12)は学習前は「知っていたけど身近な話ではなかった」と振り返る。住民への聞き取り後は「今も事故が起こる可能性があると分かった。そのことを他の人にも伝えていきたい」と話す。

 事故の2年前に起きた「宮森小米軍ジェット機墜落事故との報道の差に驚いた」と話すのは、調査班の佐渡山愛琉(あいる)さん(12)。「政府から箝(かん)口令もあったと聞いた。そのことも影響しているみたいだ」と気がついた。学習後、上空を飛ぶ米軍機について「意識してしまう」ようになったという。

 代表の児童が学習内容や、事故から連想する言葉を募り、つなぎあわせて詩も完成させた。

 「幸せな日常に鳴り響く耳をふさぎたくなる悲しみの音」という米軍機の騒音を表現した言葉、「平和な世界を創るのは私たちだ」という未来への決意などがつづられている。山田琉心(りこ)さん(12)は「事故の悲しみを盛り込みながら、それでも前を向いていく内容にできたと思う」と話した。

 同校では7日に平和集会を開き、6年生が全学年に向けて、学習内容を発表する。

(新垣若菜)