うるま市・川崎米軍機墜落から60年  児童が集会「私たちが平和創る」


社会
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60年前の米軍機墜落事故について調べた学習内容を発表する児童=7日、うるま市の川崎小学校

 【うるま】1961年に旧具志川村川崎(現うるま市川崎)に米軍機が墜落し、2人の死者と6人の負傷者を出した事故から60年を迎えた7日、事故現場近くの川崎小学校で平和集会が開かれた。6年生の児童たちが、事故原因や住民から聞き取りした内容などを発表し「忘れてはいけない。平和な世を創るためにも伝えていきたい」と、継承へ思いを強くした。

 同校では、これまで体験者などの講話を中心に平和集会を開いてきた。事故から60年となることしは、約80人の児童が主体となって調べ学習を展開し、「継承者」として取り組んだ。

 聞き取りをした児童たちは、事故を目撃した住民らが、事故後に米軍機の音に敏感になったことや今も墜落の恐怖を抱えていることを紹介。「住民の方がどんどん表情が暗くなる様子は事故の悲惨さを物語っている」と強調した。

 学習内容を盛り込んで作成した詩を、6年生全員で読み上げ、「1人の力じゃ無理でもみんなの力でなら何か変えることができる」「平和な世界を創るのは私たちだ」と、体育館に響き渡る声で宣言した。

 同校出身で事故証言集の編集委員長を務めた又吉法尚さんは「平和のバトンをつなぐという言葉を聞いてうれしい。悲惨な事故を忘れずに、未来に向かって行きましょう」と涙ぐみながら、児童に語り掛けた。横田恵校長は「皆さんの学ぶ姿が、後輩たちに対して『継いでほしい』とのメッセージになる。平和な世界の実現に向けて、手を合わせていきましょう」と語った。 (新垣若菜)