会社員のまま立候補 周囲の支えで仕事と両立 山内竜二さん<壁をこえて 糸満市議選から>4


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出馬時の様子を振り返る大藏貢社長(左)と山内竜二さん=11月29日、那覇市内

 糸満市阿波根では12年ぶりに市議が誕生した。山内竜二さん(50)は「会派で曲げられないこともあるが、市民のためになることは垣根を越えて協力したい」と意気込む。

 「地域の代表として出てほしい」。8年前、山内さんに、市議選出馬への声が地域から掛かるようになった。当時は子どもが小さかったことや議員の重要性を理解していなかったこともあり、断り続けてきた。

 落選時の生活不安もあった。ウェブデザインや広告を手掛けるリマープロ(那覇市)で山内さんは約13年働き、営業部長を任されていた。

 一方で、PTAや自治会活動では地域を代表する議員がいないことで、地域の課題が市に届きにくいことや、市の動きに見えない部分があることも感じていた。約1年前、再び打診された。「これで出なかったら後悔する」。立候補を決意した。

 今年1月、会社に出馬の意向を伝えた。8月から休職し、落選時に備えて籍は残すことで社と合意した。大藏(おおくら)貢(みつぎ)社長は、山内さんのPTAや自治会活動の様子などから「自然の流れかなと感じた」と話す。

 大藏社長は普段から「やりたいことがある人はやった方がいい」と、社員の挑戦を応援してきた。選挙活動による休職者は初めてだったが、山内さんの挑戦にも「3、4カ月だよね。お客さんに迷惑掛けないように引き継ぎしてね」とだけ伝えた。

 翌日から山内さんは業務の引き継ぎを開始。3月からは街頭で手振りをして出勤した。後援会の登録後は、あいさつ回りなどを始めた。定時の午後6時になると、同僚が「帰っていいよ」と業務を引き受けてくれた。社として支えてくれる環境があったため、仕事と政治活動を両立することができた。

 早い時期から政治活動に取り組んだことや、10年近くかけて周りが準備を進めていてくれたこともあり、選挙では2位で当選を果たした。「環境に恵まれていたのが出馬の大きな要因だった」と、山内さんは振り返る。

 当選後、支えてくれた人たちに感謝しつつ、会社を退職した。

 1期目はこれまで培った技術を生かしてのIT教育推進や、大雨時に住宅や畑などの被害を防ぐ冠水対策など、地域の課題解決のために取り組む。 (比嘉璃子)


 来年は統一地方選がある。本連載では11月の糸満市議選を例に、多様な社会を議会に反映させるため、育児や仕事を抱える若者や女性が出馬しやすい環境について考える。