過渡期の沖縄人(下) 琉球標準語形成を次世代に<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 過渡期の沖縄人として、筆者が行わなくてはならないと考えているのは教育だ。母(佐藤安枝、旧姓・上江洲)、大田昌秀元知事らから聞いた沖縄戦の話、翁長雄志前知事、作家の大城立裕氏らから託された琉球標準語の形成という問題意識を次世代の沖縄人に継承したい。

 筆者自身が経験したソ連の崩壊、また筆者の基礎教育はキリスト教神学であるが、神学的発想だと他の人には見えない事柄が見えてくる話なども沖縄の若い世代に引き継ぎたい。そして先輩の世代、筆者らの世代の残した良いものを継承し、悪いものは克服するよう未来の沖縄人に訴えたい。

 現在の日本の教育システムは、偏差値による競争、選別が行き過ぎている。この競争では情報が集中し、教育環境が充実した東京とその近郊が圧倒的に優位になる仕組みになっている。もっともこのような教育によって輩出されたエリートが機能不全を起こしているのも事実だ。沖縄の大学を基盤に、国際レベルの教養と専門知識を身に付け、将来の沖縄を建設していく若者の教育に従事したい。

 筆者は公立名桜大学の客員教授として、昨年まで沖縄アイデンティティーに関する講義を担当していた。コロナ禍で対面授業ができないので今年は断念したが、体調を整えて再開したい。名桜大学の学生はとても意欲的で真剣に勉学に取り組んでいる。また仕送りを受けずにアルバイトで勉学を続けている学生も少なからずいる。

 また半数の学生が沖縄以外の出身だ。沖縄人学生が沖縄人としてのアイデンティティーを確立するとともに、沖縄人以外の学生が沖縄の内在的論理を理解する場としてこの大学は重要な役割を果たしている。教師、職員も学生本位の教育を行う努力をしている。

 名桜大学のある名護市は辺野古新基地建設問題を抱えている。また北部地域には基幹病院がないなど社会的インフラ整備も不十分だ。沖縄戦の記憶についても、北部地域と中南部地域では異なる。さまざまな問題を抱えている地域だ。だからこそ、政治的対立を克服し、沖縄人のアイデンティティーを確立するために重要な仕事が名桜大学ではできると考えている。

 筆者の世代では、できそうにないこともある。琉球標準語の形成だ。沖縄の言語学者や琉球諸語の復興に従事している人の圧倒的多数は、那覇・首里の琉球語を基礎とする標準語の形成は、他地域の琉球諸語の発展を阻害する「キラー・ラングイッジ」(殺人言語)を作る間違った試みと考えているようだ。

 若い世代の沖縄研究者にもこの傾向が強い。そのため県はいまだ琉球語の正書法の規則すら定めることができない。筆者がこれから必要と考える琉球語は、日本政府と条約文書を作ることができ、公教育での社会科、数学科、理科などを教えることができる琉球語だ。翁長前知事、大城立裕氏が筆者に託したのはそのような公的琉球語の形成だった。

 しかし、今、この問題を扱うと、各地域言語を尊重すべきと考える人々との間で深刻な分断が起きる。琉球語の回復というテーマが沖縄社会を分断することになってはならないので、筆者はこの問題については発言しないことにした。現世代の琉球・沖縄文学専門家が琉球語のテキストを集成しておけば、未来の沖縄人がわれわれの言語を復興してくれると期待している。

(作家・元外務省主任分析官)