コロナ禍でも実り多かった展覧会 既存の枠組み外す試みも(批評家・北澤周也)<年末回顧2021 美術・写真>


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県立博物館・美術館で開催された企画展「石川真生展―醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」で作品を解説する写真家の石川真生=2021年3月、那覇市内

 2021年は、東日本大震災から10年の節目の年となり、沖縄では来年、本土復帰から50年を迎えようとしている。幾度もの緊急事態宣言の延長、そして「感染抑止期間」が明けた11月に入り、新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)も落ち着いてきたかのように見えたが、海外の感染状況に鑑みて予断を許さない状況が今後もしばらく続きそうだ。

 そればかりか、12月に入り、在沖米軍基地内での変異株を含むクラスターが確認されており、政治・地理的に特殊な状況におかれた沖縄県においては、再び訪れうる感染拡大と常に隣り合わせの状態が続いている。沖縄における日米関係のしわ寄せが、年の瀬において緊張感を増すばかりだ。

 そんな状況もさることながら、沖縄における表現史的展開は、コロナの影響を受けながらも今年も実りが多く、重要な展覧会が各所で開催された。

 年明け1月にINTER FACE Shomei Tomatsu Lab.で開催された「大判写真展」(21日・31日)は、リモート通信やweb観覧(世界規模で隆盛しつつある美術館収蔵品等のデジタルアーカイブ公開)などが芸術鑑賞のひとつの手だてとなりつつある時代において、写真を実際に「大判」で展示するという、時代に対して迫力のある展示方法をあえて採用していた。しかし、写真を大判に引き延ばすことが、解像度やレタッチなどの技術的側面に回収されていた点において、なぜ大判でなくてはならなかったかという表現にかかわる問いが取り残されていたように思う。

 Tomatsu Lab.に関連して、2020年にパリのMEP(ヨーロッパ写真美術館)で開催予定であった「Tokyo:森山大道+東松照明」展(5月~10月)が今年ようやく実現し、戦後日本写真(史)への世界的なさらなる注目が期待される。

 「岡本尚文 写真展」(ホテルアンテルーム那覇、4月~8月)では、1979年頃から沖縄と関わり続けてきた岡本の初期シリーズから最新作までが会期を分けて展示された。沖縄本島の市井を高台からの俯瞰視点で捉えた新作の「俯瞰」シリーズに突如差し込まれる住宅へのクロースアップは、基地内から外部(沖縄)へと漏れ出した「外人住宅」(2008年)に見いだされる眼差しや、長時間露光によって深夜の米軍基地の稼働と沖縄の夜間の街並みを同時に写し込んだ「アメリカの夜」(2016年)などが示すような、アメリカを表象する事物への接近がそのまま沖縄の接写となりうることの批評的意図とリンクしており、沖縄を見つめ返す岡本の方法論を一望できる展覧会であった。

 1年を通して女性作家による展覧会が多く見受けられたが、中でも大規模なものとしては、沖縄県立博物館・美術館で開催された「石川真生展 醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」(3月~5月)、東京都写真美術館での「山城知佳子 リフレーミング」(8月~10月)が挙げられるだろう。

 前者は、デビュー作を含む「アカバナー」シリーズから最新作の「大琉球写真絵巻」に至るまでのおよそ500点が公開され、「沖縄しか撮らない」と宣言する石川が見た不確定領域としての揺らぐ「沖縄」像を総観できる重要な回顧展であった。

 後者は、映像作家で美術家の山城知佳子による大規模個展となり、初期作品「BORDER」(2002年)や海外でも高い評価を受けた「土の人」(2016年)、そして名護市辺野古の新基地建設に用いられる埋め立て用の土砂が積み込まれる安和鉱山の集落が主題の最新作「リフレーミング」まで、一連の問題意識に貫かれた作品29点が展示された。

批評家の北澤周也さん

 事物に対する所与の枠組みを取り外し、新たな視点を獲得する意味の「リフレーミング」という語は、今年見られた数々の表現を振り返るうえでも重要な意味を持ちうるだろう。

 沖縄県立博物館・美術館で現在開催中の「琉球の横顔」展(11月~2022年1月16日)では、「弱者への差別や偏見」(久志芙沙子)を今日的な沖縄の問題に接続する試みとして、物故作家から若手までの16人による作品群が、地続きの意識を共有しながらも、個々に新たなる枠組みや視点を時代ごとに提示してきた変遷として提示されていた。これらはまさに、生成される表現の本質的な構造、つまりフレームの解体と(再)構築の過程に他ならない。

 今年1月の総括を以(も)って閉幕した「沖縄アジア国際平和芸術祭」において唯一延期となっていた比嘉康雄、上井幸子写真展「イザイホーの魂/久高のニガイ」(久高島離島振興総合センター)が11月に入りようやく開催にこぎ着けた。2日間(6日、7日)という短い期間ではあったが、会場は島の人々で賑(にぎ)わい、シンポジウムも盛況に終わった。復帰50年に向けて沖縄の写真や美術が再び問い直される数々の企画が計画される中、来年度もまた実りある年となることを祈ると同時に、日常の回復と沖縄における表現の展開の更なる飛躍と共にいられることを願っている。
 (批評家)

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 きたざわ・しゅうや 批評家。1989年神奈川県生まれ。沖縄県立芸術大学大学院芸術文化学研究科後期博士課程在籍。論考「東松照明『日本』(一九六七年)と『群写真』―社会化された自由な『群れ』―」が『美術手帖』第16回芸術評論募集・次席選出。