具志堅用高さん「勝たせてくれ」沖縄の方角に祈った 世界王座13回防衛<県勢アスリートの軌跡>


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ボクシングを始めた経緯や現役時代を振り返る具志堅用高さん=12月13日、琉球新報東京支社(大城直也撮影)

 沖縄の日本復帰から3カ月後の1972年8月。興南高ボクシング部だった具志堅用高さん(当時17歳)の姿は山形県にあった。県代表で出場する全国総体。「英語うまいんでしょ」「本当の年齢も教えて」。初の県外で、他県の選手からそう声を掛けられた。「オレの時代はまだ日本人として見られてなかったね」。少し複雑な気持ちで「日本人だよ」と応えた。

 4年後の76年10月10日、プロ9戦目で世界タイトルマッチに挑んだ。相手は強打が持ち味のWBA世界ジュニアフライ級王者、ファン・グスマン。控室で沖縄の方角を向き、心の中で祈った。「お願いだ。勝たせてくれ」。初回から臆(おく)せず攻め、7回に左右の連打でKO勝ち。沖縄初の世界王者となった。「あれで人生が変わったね」

KO勝ちし、WBA世界ジュニアフライ級王座を奪取する具志堅用高=1976年10月

  77~80年に王座を13度防衛した具志堅さん。その雄々しい姿は、日本復帰から間もない混乱の中にあった県民に夢と希望を与え、日本全土をも熱狂させた。その後、沖縄から多くの世界王者が誕生し、さまざまな競技で日本、世界を股に掛ける選手が輩出された。
 昨年の東京五輪では県勢初の金メダリストも誕生し「いつか絶対取れると思ってた。沖縄スポーツ界はまだどんどん強くなる。ノーベル賞とか他の分野も含めて、偉大な人が出てくるのが楽しみだね」と穏やかに語った。 (長嶺真輝)

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 沖縄の日本復帰から今年で50年の節目を迎える。沖縄スポーツにとっての半世紀は、各競技の“うちなーアスリート”が日本、世界の大舞台で熱いドラマを紡ぎ、これに県民が心震わせてきた歴史でもある。郷土の期待を背に躍動する姿に県民は夢と希望を見いだした。年代を代表する選手や、象徴的な出来事に関わったエピソードを通して50年間の軌跡をたどる。

▼【復帰50年 県勢アスリートの軌跡】