復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉日米首脳会談と屋良主席上京―琉球新報アーカイブから


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
 

 

 ◇  ◇  ◇

 復帰の年となる1972年の1月4日の琉球新報1面は、佐藤栄作首相とニクソン米大統領の日米首脳会談に向け、沖縄返還時期や沖縄核抜き宣言の行方などを見通した記事を大きく掲載している。トップは「佐藤首相 あす米国へ/中国、沖縄が最大の焦点/四月一日返還不可能に/首相 六月一日に傾く」、そのそでには「核抜き宣言持ち越しか/日米首脳会談」との見出しが並ぶ。

 さらに沖縄側の動向として、屋良朝苗主席が日米首脳会談にあわせて日本政府に要請するため上京した動きを2番手ニュースの左肩の位置で紹介し、「通貨の早期切り替え要求/ドル確認 白紙にしない/屋良主席上京/四月返還を再度訴える」との見出しで伝えている。

 このほか本紙の東京電で、1月下旬に予定される海洋博の開催地決定に向け「本部半島が最有力/通産省/沖縄万博協会も設置」との見出しで予報を掲載している。

 また、沖縄の復帰にあわせた本土の「沖縄闘争」の動向や、初の知事選に向けた保守勢力の候補者選定に関する記事も載せている。

 1面下の書籍広告では、大田昌秀琉球大教授(当時)の「拒絶する沖縄」を大きく紹介している。

 

 ◇  ◇  ◇

 琉球新報デジタルは復帰50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。