復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉1月10日「基地縮小のリストも提示」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
 

 

 復帰の年となる1972年の1月10日の琉球新報1面トップは、「日米首脳会談/基地縮小リストも提示/保養施設など16カ所/ほとんどが部分返還/政府筋言明」との見出しで、返還に伴う米軍基地の在り方についての情報が出てきている。

 トップのそばには「復帰準備作業に全力/本土政府 記念式典なども計画」と日本政府側の対応を紹介している。各省庁に準備の混乱はないとした上で「沖縄窓口である総理府では『四月一日より遅れた期間は、沖縄県民にとって長い苦痛の期間となる』とし、遺憾の意を表明しているが、政府全体としては『核撤去が全部すまずに復帰するよりは、少し遅れてもきれいにして帰ってきた方がいい』との受け取り方をしている」と政府内での温度差も伝えている。さらには「四月一日に消極的な姿勢をみせていたのは外務省と防衛庁だが、その最大の理由は『米側の核撤去作業などの準備がある』とし」ていたとも紹介している。

 連載「すべり出した五月返還」の2回目は、「行政府の取り組み/準備作業は多種多様/“職員の身分”が当面の課題」との見出しで、日米両政府間の返還交渉に左右される琉球政府の対応を紹介している。冒頭は「五月十五日を単なる一時点としてとらえるのではなく、永遠の出発点とする決意を固めたい」との屋良朝苗主席の言葉で切り出している。職員の身分もだが、屋良主席の頭は円―ドルの「通貨問題」が大きく占めていたことがわかる。それに関連した別記事では、屋良主席が次年度予算の復活折衝などの要請で「ノースウェスト機」で上京したことを紹介している。

 さらに水田蔵相の会見を報じる記事では「円・ドル並行使用も/蔵相、沖縄の通過で示唆/今後も交渉続行」との見出しを掲げている。

【きょうの紙面】

2面(政行)二月一日から最後の立法院定例議会

3面(特集)「100万人の復帰」〝国民化〟運動

4面(外電)軍縮委、中国招請に動く

5面(家庭)主婦と犯罪

6面(スポーツ)上原、新垣ミュンヘンを手中に

7面(スポーツ)北富士に土

8面(地方)農作業の手引き

9面(社会)核移送に不安高まる

10面(ラテ)テレビの題話

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。