西側ばかり人口増、地域間格差どうする<名護市長選1・23>


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名護岳から望む名護市西側地域。市街地が広がるが、東側では過疎が進む

 1970年に1町4村が合併して誕生した名護市では、約半世紀で人口が約2万人増えた。発展が進む一方で、地域別でみると東側などで人口減少に歯止めがかからず、高齢化が進む。西側地域では大型店の進出や人口増加が続き、「東西格差」が広がる。これまでの名護市長選でその是正が課題の一つとして問われてきたが、抜本的な解決には至っていない。

 名護市の資料によると、70年に約4万3千人だった市の人口は、2021年に約6万3千人と1.5倍程度増えた。ただ、地域別にみたこの間の増減は旧屋部村が3倍、旧名護町1.7倍、旧羽地村1.1倍で、対照的に旧久志村は0.7倍、旧屋我地村は0.4倍と減少し、地域間格差が著しい。

 「1町4村の合併時の条件は『一緒に発展する』だった。現状は旧名護町と旧屋部村だけが潤っている」。旧屋我地村済井出の金城薫区長(64)はそう肩をすくめる。

 21年3月時点の同区人口は558人。人口減と高齢化が進み農業の担い手がいなくなり、遊休地が増えた。2016年に屋我地の小学校と中学校が統合されたが、校区外から通う児童生徒が7割を占める。

 金城区長は「問題は住む家がないことだ。団地でも空き家活用でもいいので、子育て世帯の居住環境があれば、子どもは屋我地に愛着を持つ」と話す。

 市東側の旧久志村。三原区の人口は245人(21年3月)で、児童数の減少に伴い09年には三原小学校が閉校した。伊波安志区長(61)は「子どもの声が消え、地域から活気が失われた」と強調。市の主要施設が西側の旧名護町に集中していることもあり、人口増加策としてその分散化を要望する。
 (’22名護市長選 取材班)