地域

今も残る「公設質屋」の柱 1921年建設、沖縄戦もくぐり抜けたコンクリート建造物

大宜味村議会棟の軒下に残る公設質屋の柱=14日、大宜味村大兼久

 【大宜味】沖縄県大宜味村議会の軒下に、戦前に建てられた「大宜味村公設質屋」の支柱が残されている。1921年に建立された鉄筋コンクリート造りの建造物で、村内では旧大宜味村役場(25年建設)より古い建物だった。当時を知る高齢者は「沖縄戦の後も残った立派な建物だった」と懐かしむ。

 公設質屋は1927年に制定された公益質屋法に基づき、市町村や社会福祉法人が国庫の一部援助を受けて経営していた。民間の質屋と比較し、低金利で貸し付けが行われていたという。29年の世界恐慌などで金利が暴騰した際などは住民生活の安定に寄与したとされる。

 建物は1978年に取り壊された。

 旧大宜味村役場庁舎米寿祝記念誌(2013年発刊)によると、設計は熊本出身で国頭郡の建築技手だった清村勉氏が担った。清村氏は、村民の貴重な財産を預かる質屋は火災で焼けたり台風で壊れたりしてはいけないと、コンクリートで造るべきだと当時の村長を説得したという。

 公設質屋がある大兼久の区長、前田正宏さん(72)は現金が必要だった人たちが着物など家財道具を持ち込んだのではないかと推測する。「大兼久の青年会長を務めた母親が『戦争で砲弾が近くに落ちても無事だった』と話していた」と振り返る。


「戦争の後も残っていた」とコンクリート造りの公設質屋を振り返る平良キクさん=14日、大宜味村大兼久


 幼少期に公設質屋の前でよく遊んでいたという村大兼久の平良キクさん(89)は「大人たちが出入りしていた立派な建物だった。戦時中は大宜味の山中に避難していたが、戦後戻ってきてからもしっかり残っていたので頑丈だったのだろう」と懐かしそうに話した。
 (松堂秀樹)



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