復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉1月21日「屋良主席、出馬を正式表明」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
 

 

 1972年1月21日の琉球新報1面トップは、前日に続き革新共闘の県知事選候補の話題で「屋良主席、出馬を正式表明/県づくりへの決意新たに」との見出しで、屋良主席の出馬要請受託を報じている。そばには「自民、きょう候補者を選考」と保守側の人選の行方も伝えている。

 第66回芥川賞に沖縄出身の東峰夫さんの「オキナワの少年」に決まったとの記事も掲載している。

 福田赳夫外相が日米首脳会談の内容を紹介する記事で、沖縄の核抜き保証は「大統領名」で通告されると述べたことが明かされている。 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。