宮森忘れず諦めない 米軍機墜落事故体験、伊波章夫さん(71)


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米軍機からの爆音が鳴り響く空を見上げながら、「静かな夜を願っているだけだよ」と語る伊波章夫さん=26日、うるま市石川

 あまりの音に驚いて玄関に走り、ドアを開けて空を見上げた。米軍機が東のかなたに飛んでいく。「復帰前に思い描いていた平和憲法の下での生活とは何だったんでしょうね」。第3次嘉手納爆音訴訟から参加している伊波章夫(あきお)さん(71)=うるま市石川=は、断続的に離陸して会話を阻む米軍機の爆音にかき消されないように声を張った。

 児童ら18人の命を奪った宮森小学校米軍機墜落事故を同小4年で体験した。伊波さんの屋敷内には5軒の家があり、墜落した米軍機によって、うち1軒がつぶされ、普段から付き合いのあった住民も犠牲となった。「心にずっと残り、米軍機から少しでも離れたいという思いがあったんだろうね」。慰霊祭には長いこと参加できず、米軍機に関わることもできるだけ避けてきた。

 一方で、頭の片隅には米軍機が爆音をまき散らし、低空で飛行する日常に「こんな異常なことがあってはならない」と感じていた。米軍機からの騒音被害の救済を求める訴訟運動があることを知り、第3次から加わった。

 第3次訴訟で石川支部には、全6支部で最も多い5千人超の原告がいた。しかし、4次提訴を前に第3次訴訟で支部長を務めた役員らが離脱を表明し、4次訴訟とは別に、訴訟に臨む意向を示した。

 「運動は一体となって闘う気持ちが大切なので、非常に残念に感じた。ただ、このまま弱体化させてはいけないという気持ちが強く湧いた」。嘉手納爆音の4次訴訟に向けて、石川支部準備会の立ち上げに奔走した。同地域内で二つの訴訟が立ち上がったことで、住民間で戸惑いの声も多く聞こえたという。最終的に、石川支部は4881人が集まった。「ここまで集まると思わなかったが、みんなで頑張っていこうという強い思いが大きかったのだろう」と振り返る。

 宮森の事故で損壊した屋敷には現在、長男が住む。事故当時に破壊された井戸は、そのまま残している。「忘れてはいけないからね」と、自分に言い聞かせるように語る。

 小学生の頃に夢見ていた、平和な日本の空の下での暮らしは「まだ実感できていない」。それどころか、飛び交う米軍機の騒音は年々増し、また大きな事故が起きるのでは、戦争に巻き込まれるのではとさえ感じる。それでも「静かな空を求めて諦めることはない。当たり前の生活をしたいから」。
  (新垣若菜)